アストラッド・ジルベルトが83歳で死去 「イパネマの娘」で60年代ボサノヴァ・ブームを牽引

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アストラッド・ジルベルトが83歳で死去 「イパネマの娘」で60年代ボサノヴァ・ブームを牽引

 現地時間2023年6月5日、アストラッド・ジルベルトが83歳で亡くなった。1960年代に「イパネマの娘」でボサノヴァを一大ブームにしたブラジルの歌姫だった。

 彼女の友人でかつてのコラボレーターでもあるポール・リッチが、彼女の息子マルセロの要請により、SNSで彼女の訃報を認めた。Facebookに投稿された声明で彼は、「彼女は世界におけるブラジル音楽の全ての重要な一部であり、そのエネルギーで多くの人生を変えた」と綴っている。

 アストラッドの「イパネマの娘」は、実は偶然の産物だった。この楽曲は、もともとボサノヴァの父とも呼ばれる当時の夫だった故ジョアン・ジルベルトが録音したものだった。1963年に夫妻は故スタン・ゲッツや同じブラジルのボサノヴァのスター、故アントニオ・カルロス・ジョビンとのレコーディングのために米ニューヨークを訪れ、あるセッションでアストラッドはレコーディング経験がないにもかかわらず、参加するように言われた。

 米ニューヨーク・タイムズによると、アストラッドは生前、自身の公式ウェブサイトのための2002年のインタビューで、「スタンと一緒に“イパネマの娘”のリハーサルをしていた時、ジョアンがポルトガル語で最初のコーラスを歌ったあと、私は英語でコーラスに参加するようさりげなく頼まれました。スタンはとても受容性に富んでいました。レコーディングしたばかりのバージョンを聞き返しながら、スタンが私に“この曲は君を有名にするよ”と言ったことが忘れられません」と語っていた。

 ゲッツは正しかった。ジョアンのポルトガル語の歌詞がない、アストラッドだけが歌っている「イパネマの娘」のソロ・バージョンが1964年に発売され、米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100”で5位を記録し、1965年の【グラミー賞】<年間最優秀レコード>を受賞した。

 その後、アストラッドは大ヒットを飛ばすことはなかったが、後年1992年に【Latin Jazz USA Award for Lifetime Achievement】を受賞し、2002年には【International Latin Music Hall of Fame】に殿堂入りした。彼女は1965年の【グラミー賞】で<最優秀新人賞>にもノミネートされたが、ザ・ビートルズに敗れた。1965年と1966年の両方で<最優秀女性ボーカル・パフォーマンス>(現<最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス>)にノミネートされたが、両年ともバーブラ・ストライサンドに敗れた。

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