姉妹と町の人々の懐かしくあたたかい40年〜〜津村記久子『水車小屋のネネ』
「18歳と8歳の姉妹がたどり着いた町で出会った、しゃべる鳥〈ネネ〉」と帯にある。子どもの頃から動物としゃべってみたいという願望がある私としては、それだけで関心を持ってしまった。ファンタジーなのかと思ったらそうではない。ネネは、とても賢いヨウムである。ラジオが好きで、モノマネが得意で、歌ったり話したりする。簡単な会話もできるし、人間の仕事の手伝いだってできるのだ。
物語の始まりは1981年である。姉の理佐は短大への進学が決まっていたが、母親が入学金を交際中の男に渡してしまったために、諦めることになった。妹の律が男から冷たい仕打ちを受けていることもわかり、住み込みの仕事を探して二人で家を出る決意をする。山間の小さな町にあるそば屋の仕事を見つけるのだが、「鳥の世話じゃっかん」という謎の付記がある。この鳥というのが、ネネである。そば屋には水車小屋が併設されており、石臼でそば粉を挽いているのだが、そばの実の補給が必要なタイミングを、なんとネネが教えてくれるのだ。そば屋で給仕をしながら、水車小屋にも行って蕎麦の実を足したりネネの相手をするのが、理佐の仕事だと言う。なんと珍しい仕事!やってみたいようなみたくないような……。
未成年の女の子が妹を養うなんて、簡単なことではない。そば屋の夫婦も学校の先生も、律を親元に帰すべきなのではないかと最初は考えるし、ご近所の中にはよく思っていない人もいる。だが、真面目に働き妹との生活を少しずつ整えようとする理佐と、ネネの世話を手伝い姉を助ける律のひたむきさは少しずつ人々に認められ、二人は町に溶け込んでいく。変わっていく町とそこに住む人々の様子が、約40年間にわたり描かれていく。その中心にいるネネは、ただ人間に飼われている鳥としてではなく住民の一人のように受け入れられ、個性も意志もある者として尊重されている。人々とのかみ合っているのかいないのかわからない会話がユーモラスで楽しく、移り変わる時代の懐かしさや切なさに胸がいっぱいになり、気がつくとこの町で生きる人々と鳥がみんな好きになっていた。
善良であることとはどういうことなんだろうか、と読み終わって考えている。それは、目の前にいる人が困っているときに、何かの型にはめて決めつけることでも一方的に助けることでもなく、まずはお互いを個性ある者同士として認め合おうとすることではないだろうか。町の人々は、最初こそ姉妹を危うい暮らしをしている未成年として見ているが、次第に彼女たちにとっての幸せは何かを考えて必要な手助けをしてくれるようになる。二人は、それに応えるように自然な形で町の中に役割を見つけ、助けを求めている人の力になれる大人に成長していくのだ。
きっと誰にでも、そういう連鎖の中に自分を置くチャンスはあるのだと思う。この物語はフィクションだけれど、描かれている人間の善良さはほんとうのことなのだと素直に信じられる。
(高頭佐和子)
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