お辞儀と愛国心について考えてみた 入江聖奈選手の「おじぎ」が道徳の教科書に載る違和感 │プチ鹿島

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お辞儀と愛国心について考えてみた 入江聖奈選手の「おじぎ」が道徳の教科書に載る違和感 │プチ鹿島

いつも楽しい東スポですが、4月末にこんな記事がありました。

『入江聖奈の〝おじぎ〟伝えた東スポ記事が道徳授業の教材に!』(東スポWeb・4月26日)
なんと東スポの「金メダル入江聖奈 試合中“ペコリお辞儀”にSNS『礼儀正しく感動!』(8月3日)という記事が道徳の教師向け実践書に掲載されたという。

《記事は、入江がレフェリーから注意を受けるたびに丁寧にお辞儀をする姿が、ネット上で評判になっていることを取り上げた。その後、記事を使って行われた授業が実際にあり、このほど「彼女のとった行動とその理由を議論することで、礼儀正しさについて考えを深めることができる教材である」として書籍に載った。》(東スポWeb・4月26日)

ふだん”やんちゃ”な東スポが教材になるのだからめでたいことだと思う。でも一方で私はこの記事を読みながら「あっ!」と思ったのだ。5月13日から公開されるドキュメンタリー映画『教育と愛国』でも「おじぎ」のシーンがあったのを思い出したからだ(試写で見ました)。
この映画は17年度のギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞したMBS(毎日放送)のドキュメンタリーにその後の取材成果を加えて完成させたもの。

監督の斉加尚代氏は「教育の自由、独立が脅かされ、教科書が書き換えられていく。かつて日本でも、教師が目の前の子どものためではなく、国家の代弁者となった時代があった。危機的状況だと感じています」と語っている(毎日新聞4月13日)。
映画はおじぎの「問題」から始まる。小学生の道徳教科書に次のような問題がある。

・つぎのうち、れいぎ正しいあいさつはどのあいさつでしょうか。
一、「おはようございます。」といいながらおじぎをする。
二、「おはようございます。」といったあとでおじぎをする。
三、おじぎのあと「おはようございます。」という。

この問題の正解は「二、」なのです。

そんなのどれでもいいじゃねえか!と思った私やあなたは道徳的に「不正解」なのである。じゃぁ「内心の自由」はどうなるのか?政治と教育の距離がどんどん近くなっていないか?という点を映画は問いかける。

《軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」が戦後初めて盛り込まれた。2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。》(『教育と愛国』HPより)

こうしてみると東スポが書いた「入江聖奈がレフェリーから注意を受けるたびに丁寧にお辞儀をする姿」という記事が道徳授業の教材になるのも当然のような気がしてきた……。

入江個人の礼儀正しさが話題になるのはよいとして、これが「教材」となるのはちょっと考えさせられる。そして一貫してお上が好む「道徳」はブレていないこともわかるではないか。
実はおじぎの問題は始まりに過ぎない。いま教科書はどうやって子どもたちの前に登場するのか。その過程だけでもギョッとする。挨拶とおじぎぐらい好きにやらせてよ、という方にはおススメの映画です。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)


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TABLOとは アメリカが生んだ、偉大な古典ミステリーの大家レイモンド・チャンドラー作品の主人公フィリップ・マーロウの有名なセリフがあります。 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」 人が生きていく上で、「優しさ」こそ最も大切なものであることを端的に表現した言葉です。優しさとは「人を思いやる気持ち」であり「想像力を働かせること」です。弱者の立場に立つ想像力。 「人に優しく」 これは報道する側にも言えることだと思います。 現在、ヘイトニュース、ヘイト発言、フェイクニュースがネットの普及に従い、増大しており、報道関係者の間では深刻な問題となっています。そこには「人に優しく」という考えが存在していません。 なぜ、ヘイト(差別)ニュースがはびこるのか。「相手はどういう感情を抱くのか」という想像力の欠如がなせる業です。ヘイトによって、人は人に憎悪し、戦争が起き、傷ましい結果をもたらし、人類は反省し、「差別をしてはならない」ということを学んだはずです。 しかし、またもヘイトニュースがはびこる世の中になっています。人種差別だけではありません、LGBT差別、女性差別、職業差別等々、依然としてなくなっていないのだな、ということは心ある人ならネットの言論にはびこっていることに気づいているはずです。本サイトはこのヘイトに対して徹頭徹尾、対峙するものです。

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