さまざな”自分との対面”〜エルヴェ・ル・テリエ『異常』

さまざな”自分との対面”〜エルヴェ・ル・テリエ『異常』

 表紙からして不穏さを感じさせる本だ。頭と手と胴体をそれぞれ持つふたりの人物だろうとは思うものの、融合しているようにも見えるし、人間以外の存在のようにも見える。不穏さは本文を読み始めても消え去ることはない。第一部では登場人物が次々と出てきて、「いったいこの人々の共通項はいったい…?」と思っていたら、2021年3月10日にパリ発ニューヨーク行きエールフランス006便に乗っていた乗客たちであることが明らかになる。乱気流を通過してやっと着陸した機体に乗っていた彼らは、どうやらいまになって情報機関や警察によって招集されているらしい。それは、約3か月前の彼ら自身と彼らが乗っていたのと同一の006便が、もう一度ニューヨークに降り立ったからだった…。

 構造としてはSF的、しかしそういった簡単なジャンル分けを許さない雰囲気を備えた作品といえるのではないか。個人的に最も驚いたのが、乱気流に巻き込まれた直後に第一弾の人々が無事に帰り着いていることだ。SFを読み慣れている読者であればもしかしたら先行作品をいくつも挙げられるのかもしれないが、不勉強な身にはとても斬新に感じられた(だいたいのSFでは、誰かが行方不明になれば大騒ぎになって、それが突然何か月後か何年後かにひょっこり戻ってくるものではないのか?)。

 乗客たちはそれぞれ、3月に到着した方は”マーチ”、遅れて6月に戻ってきた方は”ジューン”と区別される。そして、”マーチ”と”ジューン”はそれぞれお互いと対面することになる(3~6月の間に”マーチ”が亡くなっている場合を除き)。個人的には、各自の対面シーンが本書の山場だと思った。こんなにさまざまなヴァリエーションがあることに、さらには彼らの葛藤の激しさあるいは受容の早さといったものに不思議なリアリティがあることに驚かされる。もしも乗客が殺し屋だったら、”ジューン”が出現するまでの間に格段に人気が爆発した歌手だったら、大人よりも未知の状況に対して柔軟な7歳の少女だったら…

 自分が”マーチ”あるいは”ジューン”の立場に立ったとしたら、どうだろう? ”マーチ”である私は、すでに自分が手にしているものを、後から現れた自分であって自分ではない者と分かち合えるだろうか? あるいは”ジューン”である私は、訳もわからぬうちに失ったものを、しかたないとあきらめられるだろうか? 何より、まったくの同一人物であるはずの自分と相対して、いったいどんな感情がわいてくるだろうか? 華麗に問題を処理した”マーチ&ジューン”もいれば、大きな痛手を負ったケースもある。人生って多様だなと、こんなに現実離れした物語なのに納得させられてしまうことに驚く。

 いったいどのように物語を畳むのかと考えながら読み進めたが、皮肉の効いた結末にやられた。そうきたかと。ここで何を書いてもネタばらしにつながりそうなので、これはもう読んでいただくしかない。

 「異常」とは、常とは異なること。だけど、そもそも「常」とは何か。人生というものはこんなにも、人によって異なっているのに。もともとの生活からして、「異常」とみなされるような登場人物もいたのに。

 緻密かつ大胆に構成された著者のエルヴェ・ル・テリエ氏は、小説家のみならずジャーナリストや学者としても、多方面で活躍されているとのこと。キャリアは長いが、世界的な注目を浴びたのは本書がきっかけ。フランス最高峰のゴンクール賞の受賞作品となったのも、納得の一冊だ。

(松井ゆかり)

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