ゲラの厚さは50センチ!! 最強の鈍器本!橋本治『人工島戦記』はいかにして出版されたのか?

2021年出版業界流行語大賞であろう「鈍器本」の、その中でも「最強の鈍器本」として読者を驚かした橋本治『人工島戦記』。その制作秘話を出版元であるホーム社に本の雑誌編集部おじさん二人組が直撃取材。50センチのゲラと格闘した編集者の魂に触れよう!

 二〇二一年最大の衝撃といえば、なんといっても橋本治『人工島戦記』の刊行だろう。

 初めて書店で見たときの驚きはいまでも忘れられない。周囲に並んだ文芸書よりひとまわり大きいA5判で豪華な函入り。手に取ってみると、おおお、重たい! 片手じゃ持っていられないくらいずっしりとくるのである。しかも函から覗く極太の深緑の背には書名著者名副題版元名などが金で箔押しされている。裏返して定価を確認するとなんと本体九千八百円だ!

 いや、こんな広辞苑のような立派な造りだから決して高くはないんだけど、税込みだと、ええと、一万七百八十円。一万円超えとは大胆ではないか。

 しかも函から本体を抜き出してみると、表一も表四も金箔がぎっしりでぴっかぴか。なんとも贅沢な表紙なのである。表紙をめくると本文は二段組みで千三百七十六ページ! おお、と再度感嘆して目次をめくると、ありゃりゃ、途中からページ数の記載がなくなっている。さらに後ろにいくと章数だけで章題もなくなっているのだ。なんでも残された原稿は第二百四十章までで、二百四十一章以降は橋本治が構想していた目次立てらしい。つまり未完なのである。

 いやはや、この分量で未完とは。まさに大作。いったい何枚あるのか。そして二〇一九年に亡くなった橋本治の未完の大作がなぜ二〇二一年になって刊行されたのか。それが知りたい!

 というわけで、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』以来の橋本治ファンであるおじさん1号浜本茂と『草薙の剣』を年間ベスト1に強力プッシュしたおじさん2号杉江由次が久々におじさんチームを組み、発行元であるホーム社へと向かったのである。
 
「最初のプランでは二百枚から二百五十枚くらいだったんですよ(笑)。最近の学生は社会活動のやり方を知らない。彼らが文化祭のノリで楽しくデモができるやり方を教えてやりたいんだって言われて。いいですね、やりましょうと始めたんです」

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 笑いながら振り返るのはホーム社常務取締役の遅塚久美子さんだ。学生時代漫研に属しアルバイトで漫画を描いていた遅塚さんは同じ雑誌に寄稿していた橋本治と学生時代から知り合いだったそうで、集英社に入社して女性誌の編集部に配属になってからも仕事上の付き合いはなしに遊んだり人生相談に乗ってもらったりという仲だったという。それから十余年、「小説すばる」に異動になった遅塚さんがいよいよ橋本治と仕事ができる!と勇んで始めた連載が「人工島戦記」だった。

遅塚 第一回が九三年の十月号で、実は「前編」となってるんですよ。しかも短期集中連載を謳ってる。
杉江 十一月号は「後編」じゃなく第二回になってる(笑)。
遅塚 嫌な予感が…(笑)。

 遅塚さんの予感は的中し、連載は六回続き、原稿枚数も五百枚に達したが、どう考えてもデモのシーンにはたどり着きそうもない。恐怖を覚えた(笑)当時の編集長がひと区切りつけて第一部終了という形にできないかと言い出し、連載はいったん終了。書下ろしに移行して刊行を目指すことになった。二〇〇三年くらいまでは定期的にどさどさ原稿が届いていたが、書下ろしは締め切りがあるわけでもなければ原稿料が出るわけでもないので、しだいに滞り始め、別の仕事も忙しくなってストップ。橋本治はその後、難病にかかり、二〇一九年の一月二十九日に肺炎で亡くなる。

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遅塚 そうこうしているうちに私もホーム社に出向になって。未完の原稿が本文三千枚と人名地名辞典が千枚近く、集英社に手つかずで残ってるわけですよ。これがこのまま日の目をみないままでいいのか! 『人工島戦記』は橋本治さんのすべてですよ。これ一冊読めばあの天才の頭の中を垣間見ることができる大変貴重な作品です。これは出さなきゃダメでしょう。もうこのために私はホーム社にいるんだ、と思って「出します!」と宣言しまして。

 ちょうどその半年前。集英社で遅塚さんから橋本治の担当を引き継いだ高木梓さんがホーム社の文芸図書編集部で働き始めていた。

高木 僕は二〇一八年の九月にホーム社で働き始めていたんですが、集英社時代に橋本さんと別の本を作っているときも、頭の中では全部できてるんだよねって、この件は常に話にあがっていたんです。それで働き始めた翌月に打合せの約束をしたんですが、橋本さんのご病気で延期延期となって、そのまま翌年の一月に亡くなられてしまったんですよね。
遅塚 だったら一緒に作ろう!って。ふたりで始めたんです。

 ところが、思いもよらない事態がふたりを待っていた。なんと橋本治の遺稿類はすべて神奈川近代文学館に収蔵されていたのである。貸し出し厳禁。しかも正式に収蔵する前にすべてのものを煮沸してから撮影するそうで、煮沸も撮影も順番待ちでデータをもらえるまで早くても半年はかかると言われ、ハナから頓挫。急いでもらうよう歎願して、原稿からゲラにイラストまで、橋本治の遺稿がすべて入ったUSBを入手したのが二〇一九年の八月末のこと。

高木 集英社で保管していた原稿には第ろく部がなかったので、この段階で全貌がわかったんですが、原稿だけで連載時の五百枚、加筆分が三千三百枚、人名地名辞典が六百枚で全部で四千五百枚ありました。その上にゲラがあって打ち直したものがあって…。

 つまり手書き原稿とゲラ、そして朱入れしたゲラ、さらに関係者が打ち直したもの、それに朱を入れたもの等、数種類があって、最新版はどれか、どれを原稿とするか。その判別作業がもっとも大変だったという。二か月ほどかけてその作業がようやく終ったところで、入稿原稿を作成。プリントしたところ、なんと紙の高さが五十センチ!に及んだ。

高木 それがゲラになるとこんなに少なくなるんですよ(笑)。

 十センチ近い高さのゲラの山を指して笑うが、五十センチが十センチになるには、(1)入稿の指定をして、(2)何か月かかけて入力してもらい、(3)それを二、三か月かけ付け合わせしてもらってチェック、という作業が必要だったのである。高木さんは原稿整理に丸一年かけた。

 さらに原稿整理のかたわら本に収録する人名地名辞典や手描きの地図、直筆の表紙、目次などの整理も進行。神奈川近代文学館の遺稿から発見された人工島関連の資料を合わせて出すことにしたからである。

高木 とくに「人名地名その他ウソ八百辞典」は明らかに人に読んでもらうために書き直されてるんですよ。資料としてのいろんな用語集がばらばらになったのをまとめて清書した状態でしたから。地図は本人が街並みを想像していくうえで必要とした資料だったのかもしれません。ただ未完の作品ですから橋本さんがなにをしようとしていたかという情報はなるべく入れたほうがいいだろうと。

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 かくして苦節二年。完成した未完の大作は千三百七十六ページ、六・四センチの本体に三十二ページの「人工島戦記地図」がついて九月末に刊行の運びとなったが、前述したように税込み定価は一万円超え!
 とはいえ箔押しの表紙を何度も試し刷りしたり、函も何パターンも作ったり、本文用紙も一冊で製本できるぎりぎりの厚さになるよう選定したり原価もかかっている。見合った価格であり、『人工島戦記』は「ホーム社の金字塔」だと営業企画部の鮎川尚史部長も胸を張る。こういう企画が通るかもしれないと社員が感じたことは今後大きな財産となるというのだ。

 実際、売れ行きも予想以上で、ホーム社ではかつて集英社から限定百五十部で出た『マルメロ草紙』のテキスト版を勢いに乗って刊行。さらに徳間文庫で絶版になっている『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』の復刊も(『人工島戦記』の副題つながりで)決定したとのこと。

「できればご本人に見ていただいて、バカじゃないの、こんなの作ってって言われたかった」

 と遅塚常務は笑うが、作る側にこれだけ熱意と愛があれば高額な本だってちゃんと売れるのである。まだまだ本も捨てたものじゃない! とあらためて思って、おじさん二人組はホーム社を後にしたのであった。

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