宇宙的厄災のピンチ、記憶にひそむミステリ、感動のファーストコンタクト

宇宙的厄災のピンチ、記憶にひそむミステリ、感動のファーストコンタクト

「ヘイル・メアリー」とは、アメリカンフットボールの試合終了直前、負けているチームが逆転を期して放つロングパスのことだ。成功率は低い。

 ロングパス。そう、あまりにも遠い距離が目の前にあった。人類の命運をかけた宇宙船は、地球から一一・九光年先のタウ・セチまで行かねばならない。ことの発端は、太陽から金星にまたがる弧状の、非常に希薄な粒子群の出現だった。研究を進めるとその粒子は細胞であり、太陽のエネルギーを貪欲に吸収して増殖することが明らかになる。ほうっておけば地球は氷河期に見舞われてしまう。この現象が生じているのは太陽だけではなかった。近傍の恒星のほとんどすべてが、エネルギーを喰う細胞に感染していたのだ。例外はタウ・セチだけだ。そこに地球を救う手がかりがある。

 アンディ・ウィアーは、火星に取り残された探険隊員のサバイバルを描いたデビュー作『火星の人』(Web発表二〇一一年、単行本一四年)で一躍脚光を浴び、一七年には月面都市を舞台としたサスペンス『アルテミス』を発表。本書はそれにつづく第三長篇である。原書は今年五月に刊行されたばかり。速攻での邦訳だ。

 読みどころは、まず、太陽エネルギーを貪る細胞(アストロファージと名づけられる)の生態。いっけん荒唐無稽なアイデアに思えるが、ウィアーは周到に生物学的・物理学的裏付けを練りあげており、しかも、ひとつひとつ明かされていく謎がストーリーと絡むよう作品を組み立てているのだ。ハードSFのひとつの理想を示している。

 もうひとつの読みどころは、ミステリ仕立ての構成だ。主人公の「ぼく」は、記憶を失った状態でタウ・セチへ進む宇宙船のなかで目覚める。状況からすると、どうも人工冬眠していたらしい。ほかにふたりの乗組員がいるのだが、彼らは人工冬眠に適合しなかったらしく目覚めることがなかった。つまり、それだけ未熟な技術で、あわてて旅立たざるを得なかったわけだ。ぼくが徐々に記憶を取り戻していくことで、プロジェクト・ヘイル・メアリーの全貌――多くの障壁と葛藤を乗り越えて全世界的な計画の遂行に至った――が、読者の前に広がっていく。そもそも、ぼくは子ども好きの教師だったはずだ(この記憶は最初に甦ってきた)。宇宙飛行士でもないし、学術の専門家でもない。それがなぜ宇宙に? ぼくの身の上に起きた過去の謎が解かれていく過程と、タウ・セチへ向かう旅で持ちあがる事件とがパラレルで語られる。このあたりも、アンディ・ウィアーの巧さだ。

 そのうえ贅沢なことに、この作品はファーストコンタクトSFでもある。タウ・セチへ向かう途中、ぼくは併航する異星の宇宙船に気づく。もしかすると、ほかの恒星系に棲む種族も、地球と同様のプロジェクト・ヘイル・メアリーを企てたのかもしれない? あるいは、ほかの意図があるのか? まさか偶然ということはないだろう……。

 これから読むかたのために、ここではファーストコンタクトの子細は伏せておこう。ただ、なんとも胸に迫るドラマが、しかもハードSFの規範を逸脱することなく繰りひろげられるとだけ言っておく。スタンリイ・G・ワインボウム「火星のオデッセイ」(なんと一九三四年の作品だ)以来の感動作かもしれない。

(牧眞司)

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