歴史的快挙を成し遂げたラグビー日本代表を支えた「ソフトウェア」の開発秘話とは

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歴史的快挙を成し遂げたラグビー日本代表を支えた「ソフトウェア」の開発秘話とは

 一言で「スポーツ業界」と言っても、スポーツチームやその運営会社、スポーツ新聞社やスポーツ番組制作などのメディア、スポーツ用品店など、その携わり方は幅広く存在する。

だが、その中心となって業界を動かしているのは、各競技でプレーする選手たちではないだろうか。

そんな選手たちが日々活躍するためには練習やトレーニングのみならず、体調面や精神面含め、あらゆる形でのサポートが必要となるが、その中で選手のコンディショニング管理を支える、あるソフトウェアに注目した。

そのソフトウェアというのが、「ONE TAP SPORTS」だ。

「ONE TAP SPORTS」はスポーツ選手のコンディション管理をデータ化し、可視化することでパフォーマンスの向上をサポートするソフトウェアである。

今回、この「ONE TAP SPORTS」の開発元である、株式会社ユーフォリア共同代表・橋口寛氏を、元フジテレビアナウンサーでスポーツアンカー・田中大貴さんが取材。

その前編となる本記事では、ソフトウェア開発に至るまでの苦労や、共に戦い歴史的快挙を成し遂げたラグビー日本代表に対する思いなどを語ってくれた。

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「日本のラグビーは、魅せ方が下手」ラグビー・畠山が語る、ラグビーの真の魅力! https://cocokara-next.com/athlete_celeb/kensukehatayama-talks-about-rugby-japan/

既存のものを魂入れずに使うのではなく、オリジナルで作りたい

田中:そもそも、何故「ONE TAP SPORTS」の開発に至ったのか、橋口さんのプロフィールを含めて教えていただけますか?

橋口:子供の頃に野球をやっていました。早くから身長が高かったので、ピッチャーをやっていて、投げすぎで中学校に上がる頃には既に肘が曲がっている状態でした。毎週整形外科に通っていましたね。なので、中学生時代半ばくらいから力一杯ボールを投げることができず、これは私の中で原体験として残っていて、こういったことを少しでもなくしたいという思いがあります。
その後、高校まで野球を続け、大学卒業後は、メルセデスベンツという車の会社に入社しました。そこから現在の仕事に至るまでは、コンサルや企業再生などをメインで行っていました。

今の「ONE TAP SPORTS」事業が生まれたのは、本当たまたまの人の縁からでした。
ユーフォリア自体は2008年に創業し、最初は先ほど述べたようなコンサルや企業再生などを行っていたんですが、それを続けながら自分たちの自社事業開発のためトライアンドエラーを繰り返していた時期が4年ほどあります。
その後2012年に共通の友人の紹介でラグビー日本代表の関係者から「こういったものを作れないか」と打診を受けて開発をスタートしたのが、今の「ONE TAP SPORTS」の原形です。

ちょうどその頃ラグビー日本代表が強化に力を入れるタイミングでした。2019年に自国開催のW杯が決まっていて、その大会の成功のためにも、基本的に開催国の代表チームはは予選リーグで3勝以上して決勝トーナメントに進出することが当然期待されますからね。
その当時の日本代表は二十数年間で1勝しかしておらず、そんなチームが3勝できるチームに変貌を遂げる必要があるという物凄いチャレンジをするタイミングだったんです。
それと同時にエディー・ジョーンズさんが代表ヘッドコーチに就任しました。
「2015年の大会に向けて強化を進めていく中で、強度の高い練習を急速に行うので、怪我の発生リスクが高くなる。その時に、怪我のリスク上昇を可視化してアラートを出せるようなツールって作れないですか?」と相談を受けたんです。それが2012年。
そういったご縁によって「ONE TAP SPORTS」が導かれてきた感じはありますね。

田中:この取り組みは、スポーツ界の中ではある種のサービスとしてのイノベーションだと思いますが、どうして今までこういったサービスがなかった、作られてこなかったとお考えですか?

橋口:そうですね・・・。ちなみに、あとで知った話なんですが、当時海外では同様のサービスはあったんです。エディー・ジョーンズさんも、それは当然ご存知だったはずです。そして、日本にそれが無いことも分かっていたと思います。
当時エディーさんが何度も発していた言葉がありました。「JAPAN Way」という言葉です。
日本人選手は海外選手に比べて体格が小さい。だけれども、日本人の特徴を活かした、勤勉さだとかアジリティの高さ、クイックネス、さらに規律を重視するといった、日本チームの特性を活かした戦い方という意味で「JAPAN Way」と言っていました。
全てにおいて「JAPAN Way」を大事にする。なので、ソフトウェア一つとっても、海外にあるものが良いものだから、便利だからと言ってそのまま直輸入して魂入れずに使うのではなく、できるだけ「JAPAN Way」にあわせてオリジナルで作りたいという思いがあったと聞いています。
そういう意味で我々に声がかかったのかもしれません。

じゃあなぜ今までなかったのか。それは、これまでサイエンスやエビデンスに基づいて指導するというカルチャーが少なかったからだと思います。
当時はまだ、名選手がそのまま監督になるといったことが多く、スポーツサイエンスやコーチングに関する理論を学んでそれを実地に応用するといったサイクルが回ることが少なかった。
我々もONE TAP SPORTSの事業をスタートして感じましたが、データに基づいてコンディションを把握をするということへの理解を得るのに苦労しました。他の競技のスポーツチームへ提案しても「スマホを使って体調管理をするよりも、大事なのは現場なんだよ」と言われることもありましたから。そのふたつは二者択一ではないのですが。

実はつい最近で、アスリートのレディネス(準備の出来度合い)が重要であることがスポーツ界全体の共通認識にまでは高まっていなかったと思います。データに基づいたコンディション把握によって怪我を防止するといったことですね。コロナ禍もあって、リモート環境でのコミュニケーションを余儀なくされたことも、データに基づいたコンディション把握が進む一つの要因になったと思います。

絶対役に立てるという直感的な確信があった

田中:開発を進めていくと、色々な壁に当たったりだとか、求めていた結果ではなかったりなど、様々な苦労があったと思いますが、その辺りはいかがですか?

橋口:2012年の秋に依頼を受け、そこから半年しか時間がなく、2013年4月に開催された日本代表の合宿が最初のターゲットでした。それまでに「ONE TAP SPORTS」を使える状況にしてくれと言われていました。コンセプトはあったものの、その要件定義がまとまっている訳ではなかった。そこで、ストレングス&コンディショニングコーチに、どういうことに困っていてどういう機能があったらいいかというのを聞き、それを僕らがまとめて一つ一つ定義を確認していったのが半年のうちの冒頭3ヶ月でした。その後開発を進め、なんとか合宿の前日くらいに最初のプロダクトが出来上がりましたね。

合宿当日、合宿所へ行き、選手の前で挨拶をしました。我々はこういう者で、こう言ったソフトを開発しました。このソフトをみなさんと一緒に育てていきたい。なので、どんどんフィードバックをくださいと言いました。
ただ、どんどんくださいと言ったものの、想像以上のフィードバックがきましたね。使いにくいだとか、こんなんじゃ無いんだよねとか。細かいところまで含めて山のようにきました。
その後最初の1ヶ月はほとんど毎日フィードバックに対する改善作業を繰り返していた気がします。

田中:商品と呼べるまで、他の選手やチームにお渡しできるまで、相当な苦難や、辿り着けるのかと言った焦燥感はありましたか?

橋口:プロダクトが求められている顧客価値としては、一定の時間をかければそこに辿り着けるだろうという感覚はありました。
ちなみに2チーム目の顧客が慶應大学のラグビー部だったんですが、彼らも代表チームと同じくイノベーターマインドがあり、一緒になって直す、自分たちが作るんだという意気込みで使っていただいていたと思います。

他のチームでもニーズがあるはず、という感覚はありましたので、そこから2〜3年かけてプロダクトに磨きをかけ、広く他のチームへも提供を始めたのは2015年の9月でした。
ただ、プロダクトの価値を生み出せるかという不安はなかったんですが、会社のキャッシュが持つかなという不安は少しありましたね。

田中:なるほど。キャッシュのバジェットはどのように工面されましたか?

橋口:基本はそれまで行っていたコンサルで稼いだお金ですね。そっちで稼いだお金を全部「ONE TAP SPORTS」の開発につぎ込んでいました。
もう、赤字か黒字かという話ではなく、赤字は当たり前で、3年間くらいは稼いだお金を燃やしてプロダクトを良くしていくことに必死でした。

田中:それは橋口代表が考えるスポーツに対するロマンがあったからできたことではないのでしょうか?

橋口:どうなんですかね・・・。あんまりロマンという感覚では無い気はします。ただ、スタートする時に絶対役に立てるという直感的な確信があったのと、沢山フィードバックを貰う中でこちらも向こうも本気で良くしていこうと取り組んでいくと、だんだん同志的結合が生まれてくるんですよね。フィードバックの質と量も変わってくるし、明らかに我々は山を登っている、良い方向に向かっているという感じを持つようにはなりました。そうしているうちに、これは必ず役に立てるものなんだなという確信が生まれてきたというのは大きかったと思います。
2015年W杯に向けて、日本代表が南アフリカに勝つための「ビート・ザ・ボックス」という強化作戦を開始し皆が必死に戦っている中で、我々がその船を降りるという発想は1ミリもなかったですね。一緒に乗り込んでいる以上は共に戦いたいし、そのために貢献できるはずだという感覚はありました。

僕らは「1%に満たないくらいの小さなピース」

田中:2015年から2019年W杯で日本代表が大きく飛躍しました。その中で、そこに対して自分たちが大きく貢献したなという手応えはありましたか?

橋口:正直にいうと、その感覚は我々の中に多少はありますが、一方で全体の中の貢献度を見ると1%に満たないくらいの小さなピースだったんだろうなという思いもあります。選手が死ぬ気で努力した様子をよく間近で見ていましたし、あの努力に対してコーチやスタッフ陣、ドクターたちがどれだけのコミットメントをしていたかも知っていた。その方々の貢献に比べると、本当に小さな小さなピースとして貢献したという感じはあると思います。

田中:ただ、チームや選手、関係者の方からの感謝はありましたよね?

橋口:そうですね。それはたくさんいただきました。やっぱり僕らが1番嬉しいのはそれですよね。勝った時に皆が喜んでいる様子を見て僕らも爆発的な感情を共有することと、終わった後にお疲れ様会をやるんですが、その時に、『本当にあの時あれを作っていただいて助かりました』などと言っていただくと、全ての苦労が吹き飛びます。

田中:W杯といえばラグビー界の中でも大きな大会。その中で日本代表というチームに一緒に加わり、成果をあげないといけないというプレッシャーみたいなものはあったのでしょうか?

橋口:あまりプレッシャーとして認識することはなかったと思います。直感的なものですが、大変だろうけど必ずできるはずだという確信は持っていましたから。
ただ、責任は負っているなと思いました。私自身も日本代表の一ファンでしたし、全国にいるラグビーファンは日本代表の戦いにめちゃくちゃ期待を寄せている。それまで4年に一度勝てずにくやしい思いをしていたので、自分たちがそこに関わることに責任は感じていました。

田中:ちなみに2015年W杯で歴史的な一勝をあげることに貢献したのち、2019年W杯でさらに功績を残すことに貢献するため、具体的に改善したポイント等があれば、可能な範囲で教えてください。

橋口:それでいうと、2015年と2019年で「ONE TAP SPORTS」は全く別物になっていますね。一つ一つどこを改善したかというのはひとことで説明できませんが・・・。トレーニングや練習、試合の強度をモニタリングするというのが、怪我の予防において1番大事なことなんですが、その強度管理を可視化するという方法が、4年前と全然変わりましたね。
それは現場のスタッフから「これをこうしたい」という意見を沢山いただいて、プロダクトに反映していったということなんですが、もう何百カ所ではきかないくらい変わっています。

やはりソフトウェアというのはそうやって育って行くものですし、育てていただいたということだと思います。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]


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