藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 #28 うなぎと蕎麦と女




 蕎麦好きの優子を喜ばせたくて、蓼科しもさかに連れていくと、そばがきを絶賛してくれた。こんなに美味しいそばがきはない、とまで言う優子は、笑顔を通り越して、悲しそうに見える表情をよこした。
 その顔を見て、以前にも何かを食べて同じ表情をよこしたことを思い出したが、食べ物の名前までは出てこなかった。銀座の天麩羅だっただろうか。いや、あの芋天ではない。では、金沢の寿司だっただろうか。いや、それも違う。それよりも、もっとそこいらにある、庶民的なもの、たとえば巣鴨あたりの煎餅なんじゃないか。いや、それでもない。むしろ、札幌の雪印で食べたアイスクリームではなかったか。いや、ちがう、ちがう。姫路あたりで食べた穴子ではないか。いや、いや。
 そんな堂々巡りをしているうちに、一旦満たされたかに思えた胃袋に、まだ余裕があるように思えてきた。もう少しだけ、蕎麦を食べたいのだが、一人前はさすがに無理だと思う。ちょっと手伝ってくれるのなら、注文したいのだが、どうだ?というようなことを優子に小声で尋ねると、わたしは無理、と素っ気ない返事だった。
 ならば、仕方がない。私は一旦はきっぱりと諦めた。そもそも蕎麦は胃を満たすためにあるものではない。そういうのは例えばラーメンなどに任せておけばいい。すき焼きとか、ハンバーガーとかにもそれは任せられよう。だが、蕎麦は食べるものではなくて、喉を通すものだ。そう、蕎麦というものは、言うなら、遊びで食べるものなのだ。わたしは、そう心内で呟いて、品のない食欲なんぞになびきそうになったことを恥じた。


 私は、蕎麦猪口に蕎麦湯を注ぎ、一息ついてから姿勢を優子に気づかれないように整えた。そしてお神酒でもいただくような静けさで、蕎麦猪口を傾けて、つゆと蕎麦湯の合わさったものを飲んだ。ああ、なんという豊かさだろう。私はその小さくはない感動を、うまいなあ、と小さくつぶやくことで、優子に伝えた。私の横にいる22歳年下の女である優子は、小さくうなずいて、ふふ、と笑い声のようなものをその厚みのある唇から漏らした。私は、今夜のホテルのベッドルームとバスルームを隔てている曇りガラスのことが、脳裏にちらついたが、そちらへの気持ちを塞いで、視線を空いたせいろに預けた。
 ああ、おなかいっぱい。店を出て駐車場に進みながら優子は胃のあたりをさすった。砂利を踏みしめる四つの足裏が、乾いた音を立てるのだが、私の心はそうではない。優子がさすった胃のあたりの皮膚は、あと数時間もしたら、私の舌先に触れることになる。そんな想像に包まれている滑稽さに、愛しさを感じつつ、先週納車されたばかりのレクサスのドアを開けて、優子を助手席へと案内した。
 ああ苦しい。優子はシートを少しだけ倒して、なおも胃をさすっている。そんな彼女に、蕎麦は腹一杯食べるものではないよ、などとは告げない。流儀というのは人に押し付けるものではなくて、個人的な遊戯なのだから、好きにさせるのがいい。


 車は、ビーナスラインのカーブを緩やかに下りはじめ、わたしはそのハンドリングを楽しみつつ、つまらない世をおもしろおかしく生きること、の感触を楽しんだ。
 ビーナスラインを茅野市街へと向かっていく途中に、私の別荘を通り過ぎたが、そのことは優子に伝えなかった。彼女には別荘を持っていることすら教えていない。知れば連れていけと言われるかもしれない。そうなるのを嫌って、言わないままにしておいた。
 その別荘は、家族にも内緒で購入したもので、時折一人で引き篭もっては、無為に過ごすための場所だった。500坪の敷地に、100平方メートルほどの平家を建て、資材の質には拘ったが、威を張るような佇まいではなく、現代の草庵を意識したものだった。そこで茶人の真似事をするわけでもなく、ただごろごろしつつ無為に過ごすだけなのだが、それが時折必要なのだった。
 そして、そこに女を招いたことは一度もなかったし、これからもない。女とは外で会うものだ。私と優子を乗せたレクサスは、やがて見どころのない茅野市街を通り過ぎ、諏訪湖へと向かう。諏訪インターの入り口を素通りし、なお北へと進路を取る。道の両側には、大型のチェーン店が並び、地域色など望みようもないのだが、うなぎの小林の看板だけは好意的に目に入った。今夜の夕食の予約をしている店で、諏訪湖へと続く道から少し脇へ入ったところにあり、この辺で私が贔屓にしている店の一つだ。もともと下諏訪に本店があって、そこは平仮名でこばやしと記し、混同されないような配慮がされている。私はどちらも好きなのだが、上諏訪の小林の方に行くことがほとんどだ。贔屓にする理由は、味だけではなくて、そこへと向かってしまう磁場めいたものが働いているような気もする。同じ距離、同じ味だったとしても、交互に通うことがないように、不思議な動力が働くのだ。平たく言えば、相性と言っていいだろう。





 そうこうしているうちに、諏訪湖へと行き当たり、右折をして湖畔沿いに反時計回りに進んだ。私は波のない大きな水を見ると、なんとなく不快な気がしてしまう。つまり程よく波が打ち寄せる海の方が、べったりとした湖や池よりも好きなのだ。命を育む大きな海原のイメージに対して、所詮大きな水溜りのようなイメージを湖や池に対して持ってしまうのは、事実に反した勝手な想像に過ぎないのだが、いつまでたっても不潔な感じがしてしまうのは、川魚の泥臭いイメージと寄り添っている。鯉や鮒などは、ご当地の名物を楽しみたいとする私にしては、珍しく好まない食物だ。
 不思議なのは、鯉や鮒は好まなくても、鰻やドジョウはむしろ好物であることだ。ドジョウなんてものは、泥臭さの権化のようであり、そういった矛盾を指摘されてはぐうの音も出ないのだが、そんな指摘を他人から受けるには、どうにも私の面構えが強面すぎる。子供の頃に転んで割った額の傷跡のせいもあるのだが、ヒール役のプロレスラーみたいなこの造形の持ち主に、軽口を叩く者はこの半生でほとんどいなかった。加えて身長は190センチもあるのだから、なんとなく敬語で扱われることが普通であった。
 私が使う湖畔のホテルは、時代遅れを自覚して大々的なリノベーションをした判断は良かったが、結局全てが中途半端になってしまっている大型ホテルで、私はその洒落っ気の無さが案外好きであった。夕食を付けることも外すことも出来るのだが、基本的には外で済ますのだが、たまに大広間で部屋ごとに食事を済ます、大型ホテル式を選ぶこともあった。
 恭しすぎるほどのサービスを提供する従業員の一生懸命さは決して悪いものではなく、その垢抜けなさがなんだか良いのだ。ただ、それも一人の時に限る。女と二人で泊まる時には、食事は必ず外でとることに決めている。考えてもみれば、これから朝まで過ごす女と畳の上に靴を脱いであがり、個別のテーブルを向かい合うように配置され、蝶ネクタイをつけたウェイターが黒い靴下姿で恭しく行きつ戻りつつな状況では、なんだか老けた気になってきて、萎えてしまうのだ。
 だが、1人の時に限っていえば、それが逆に非日常となって心地よくもある。しかも、全てにおいて趣味の良さを誇示するような面倒臭いホテルと違って隙だらけな分、安心もできるのだ。
 きっと私のような成功したとされている建築家は、決して泊まらないであろうホテルなのだが、センス良くまとめられた物事にいちいち反吐が出る偏屈な性格を持ち合わせてもいる私には、ごくごく一般的なものこそが、愛おしくもある。


 その行きつけの大型ホテルにチェックインを済ませると、いつもの部屋に荷物を運んだ。荷物といっても、わずか2泊分の荷物なんてたかが知れている。私は20年使っているヴィトンのボストンバッグひとつをテーブルの上に置く。優子もわたしと全く同じバッグを私の荷物の横に置く。
 優子は、女なのに極端に荷物が少ない。私はそこが好きである。簡潔な女はいい。無駄がないとは言い切れないが、無駄な考えが少ないことは確かただと思う。それはどういうことかと言うと、与え合うストレスが少ないということだ。私はこれ以上人生を無駄にしたくないので、インプットとアウトプットが多すぎる奴のそばにはいたくない。多すぎるメニューを出す食堂よりも、やきそばと餃子のみの店を好む。そんな感じだ。
 優子は気の利いたことを時々言う。そしてあとはゆったりと微笑んでいるのだ。気の利いたことを言う奴は、実はエゴが強い人間が多い。世馴れた風な、人の心に通じているような、そういう場所から言葉を放ってくる。だが、彼らは、常に自分の安全圏を把握していて、そこから出てこないで、遠くに言葉を放っているのだ。つまり多少なりともずるくて逃げ足の早い奴らだ。
 だが、優子はそういう奴らとは違って、太々しく、堂々と気の利いたことを言ってのける。そしてそれが相手にどういう影響を与えるかなんて気にしていない。言い放っておしまいなのだ。自分を賢く見せようなどとは全く思っていないところが、清潔だ。


 私と優子は、部屋のソファに並んで座り窓の外を眺めた。その日は立石公園に行く以外は何も決めていなかった。珍しく優子が行きたいとリクエストした場所は、映画「君の名は」の舞台になったと推測させるところで、そこからは諏訪湖が一望できるということだった。私はその映画を見ていないので、ただ頷くだけだった。優子は可愛い女だ。その女が行きたいというのだから、行くより他はない。そもそも私はアニメが嫌いなので、その公園を訪れたあとも見ることはないだろう。ただ、優子が喜ぶ姿を見たいのだった。好きな女が喜ぶ姿を見たいと思うのは、男たちのありふれた願望のひとつだろう。





 諏訪湖の眺めに気を許しているうちに、私たちはそのままソファで寝てしまっていたらしい。起きると目の前の諏訪湖には西日が落ち始めていた。少なくとも3時間は寝てしまったことになる。私が目覚めるとほぼ同時に優子も起きた様子で、口の中で小さく押し殺すような欠伸をした。
 私たちは、手ぶらでホテルを出ると、車で20分ほど走り、立石公園に到着した。そこには、結構な人が集まっていて、それぞれ思い思いに眼下に広がる諏訪湖と自分とを写真に収めていた。私と優子は、そういう写真を撮る習慣がないので、ただその美しさに見惚れていた。優子が言うのは、さらに上へと道を行けば、人もほとんど来ないスポットがあるとのことだった。無論、私は優子を連れてそこへ向かった。
 その場所は確かに誰もおらず、諏訪湖の眺めが立石公園よりもきいた。そこには駐車場もないので、目の前にある廃業したラブホテルの駐車場に停めた。裏口のドアが空いていて、誰でも自由に出入りできるその廃墟はなんとなく不気味で、窓を見たくないよう雰囲気を醸し出していた。
 優子は、その映画の主人公である男と女は、時々入れ替わるのだと説明してくれるのだが、言葉が足らずに、いまひとつ理解できなかった。男と女が入れ替わる?いったいそれのどこが面白いのだろう。私にはさっぱりわからないのだが、優子は勝手に感動している様子だったので、私はそれで良かった。太陽は西空に落ち、街の灯りがともり始めた頃の諏訪湖は、通俗的に美しくて、私は意外にも感動した。人間の営みと諏訪湖という自然の対峙は、共生という普遍的なテーマを思わせもしたのだが、私の感動はそれとは全く関係のない所と繋がっていた。
 言ってしまえば、私は、眼下の景色に魅入っている優子の美しさに感動していたのだと思う。もっと言うなら、その姿は、行く手の定まらない、何の未来にも繋がっていないように見える私との関係を続けてしまう、優子の心のどこかにある不安定さを映しているように思えたからだ。不安定なものは美しいと私は常々信じていた。誘うと2回に1度は会いにきてくれて私と数日過ごす優子の私生活を、私はほとんど知らない。私は何も優子に渡したりせずに、せいぜい食事を一緒にするくらいなのだが、彼女はそこに居場所があるかのように、やってきて気楽に過ごしていくのだ。その優子が、アニメ映画の舞台になったとされる場所にやってきて、眼下の風景に魅せられて立ち尽くしている。私はその姿になぜか感動していたのだった。
 その日の夕食は、小林で鰻三昧だった。白焼、うなきゅう、肝吸、うな重。優子は、おいしい、おいしい、と悲しそうな顔でため息をつくのだった。また来ようと、私が真声で言うと、優子は、本気にならないでね、と悲しそうではない顔で言うのだった。

#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
a href=”https://www.neol.jp/culture/104483/”>#27 岸を旅する人


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 
 

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