『推理作家ポー 最期の5日間』監督が語るエドガー・アラン・ポーの魅力「人生と作品が巧みに交差している」
昨年10月に公開された映画『推理作家ポー 最期の5日間』。コナン・ドイル、江戸川乱歩、東野圭吾ら後世の推理作家に影響を与えた作家エドガー・アラン・ポーの最期の日々を、史実とフィクションを交えて紡いだ作品であり、ミステリーファンに高い評価を得ました。
3月20日には、ブルーレイ&DVDがリリース。初めて映画を観る方はもちろん、“小さな謎”がふんだんに散りばめられている作品であり、一度観た方でも楽しめる作品となっています。
今回、本作のメガホンをとったジェームズ・マクティーグ監督に映画について改めてインタビュー。映画好きならではのこだわりや、同じく著名なミステリー作品をテーマにした『シャーロック・ホームズ』についてのコメントなど、ボリュームたっぷりにお届けします。
――本作は、作家エドガー・アラン・ポーの最期の数日間をモチーフにした作品となっていますが、本作を製作するきっかけを教えていただけますか?もともとポーの文学作品はお好きだったのですか?
ジェームズ・マクティーグ:今回プロデューサーのアーロン・ライダーから話をもらったんだが、彼はこれまでにも『メメント』や『プレステージ』といった興味深い作品の数々を手掛けてきた人物で、個人的に注目していたんだ。
僕自身、もともとポーのファンだったし、ポーの人生そのものと彼の作品が巧みに交差するストーリーにも大いに惹きつけられた。作品のほとんどが短編小説だったことや、彼の人生がかなり陰鬱で悲惨なものだったこともあって、ポーを題材にした映画の決定版、といったような作品がこれまでになかったという点でも意義あるチャレンジになると思ったし、彼の人生と物語を組み合わせて、今までにないユニークな映画が出来るんじゃないかと思ったんだ。
――本作を映画化するにあたりポーの文学作品で特に参考にした作品はありましたか?
ジェームズ・マクティーグ:「モルグ街の殺人」、「落とし穴と振り子」、「アモンティリャードの酒樽」といったポーの短編は、脚本の段階からすでにストーリーに組み込まれていたものだけど、映画をよく注意して観れば、「黒猫」や「跳び蛙」などの他の作品も、さりげなく練り込まれていることに気付くはずだよ。
――「THE RAVEN(大鴉)」はアメリカでは教科書にまで載っている有名な詩だそうですね。
ジェームズ・マクティーグ:タイトルをあの詩からとったのは、この映画のスピリットを最も端的に表現していると思ったからだ。全編を通し鳥のモチーフが登場することでも、あの詩がもつ“ムード”のようなものを感じてもらえるはずだ。「大鴉」は彼の名前を聞けば誰もが真っ先に思い浮かべる1番の代表作だし、ポーのことをよく知らない人でも、タイトルを聞いて「そうか、エドガー・アラン・ポーの映画なんだな」といった具合に興味を惹かれて、劇場に足を運んでくれるんじゃないかという期待もあった。広く一般に知られた人物やキャラクターを一種の“ブランド”として売り込みに使う、というハリウッドの常套手段を、僕なりに試してみたというわけさ。
――この映画のポーはかなりアクティブな“探偵役”を勤めています。大胆なアダプテーションであると感じたのですが、気を配った点など教えてください。
ジェームズ・マクティーグ:犯人を追うのはプロに任せて肝心のポー自身は何もしない、って言うんじゃつまらないと思ったんだよ。ポーが作家ならではの言葉を武器に、犯人の次なる行動を推理する、というのがストーリーの要でもあるし、犯人の頭の中に入り込み、相手が次に何を仕掛けてくるのか予想しながら刑事を補佐するポーは、さしずめ今で言うところのFBI心理捜査官、といったところで実に面白い。
自身が次に犯す犯罪をストーリーにして綴るよう、犯人が挑戦状を叩きつけてくることで、ポーはアクティブに成らざるを得ないということもある。最愛のエミリーはもちろん、果ては自分自身の運命までもが己の手に委ねられているわけだからね。
そういった意味でこの映画のポーは、探偵役というよりはストーリーを推し進めていく原動力のような存在と言えると思うんだけど、『シャーロック・ホームズ』なんかもその点では同じだよね。たまにジュード・ロウ扮するワトソンがロバート・ダウニーJr.のことを「おい、シャーロック」って呼ぶことで、「ああ、そうか!これってシャーロック・ホームズの映画だったんだよね」ってふと我に返る以外は、あのキャラクターがシャーロック・ホームズだなんてまったく考えずに観ているだろうからね(笑)。
――本作品は、1840年代~50年代のアメリカを描かれていますが、衣装や街の雰囲気を描くにあたり大変だったところはありますか?
ジェームズ・マクティーグ:当時の風景はもちろんもう残っていないから、とりあえずはリサーチすることから始めた。撮影監督やプロダクション・デザイナーと一緒に参考資料をかき集めて、移民ラッシュでヨーロッパの影響が濃厚だった1948年当時のボルティモアについて調べ上げたよ。最終的にハンガリーのブタペストを撮影地に決めて、実際の街並みや建てこみセットなどを使って撮影したんだけど、当時のボルティモアを忠実に再現することはしょせん不可能だし、僕なりのバージョンに仕立てることにした。
個人的には、その映画独自の世界観を作り上げる以外に方法はないと思っているしね。マーティン・スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』みたいに、小道具から衣装の1点1点に至るまですべてが完璧な当時のレプリカじゃなきゃいけない、なんてこだわりは、僕には一切ないよ(笑)。この映画の世界観は、僕バージョンの40年代ボルティモアとポーの小説の世界がミックスされた独自のものとして捉えて欲しいね。
――この作品を手がけられたことで、ポーという人物の見方が変化したり、思いがけない一面を発見したことなどありましたか?
ジェームズ・マクティーグ:ポーが実はとんでもない女好きだったというのには、ちょっと驚かされたね。ものすごくロマンティックな男だったのに、不幸なことに恋に恵まれなかったんだ。ポーはよく「肺病は我が家の血筋」なんて冗談めかして言っていたらしいけど、実際に彼が愛した女性は、養母にしろ最愛の妻ヴァージニアにしろ、みな肺病で亡くなっている。それはともかく、何しろ死の直前には、2人の女性と同時に婚約していたってくらいだから、相当恋多き男だったんだろうね(笑)。言われてみれば、そういったロマンティックな側面は彼の詩や小説からも感じとれるし、そんなポーの意外な一面は、この映画を手掛けたことで初めて知った発見だったよ。
――どうもありがとうございました!
『推理作家ポー 最期の5日間』ストーリー
米国ボルチモア、1849年の秋。密室で惨殺された母娘の遺体が発見され、現場に駆けつけた刑事フィールズは、数年前に発表された推理小説「モルグ街の殺人」を模した事件である事を見抜く。作者であるエドガー・アラン・ポーは数々の詩や小説で成功を収めたものの今では創作の筆は折れ、酒に溺れる日々を送っていた。ポーの作品を模倣した殺人事件がさらに連続して発生し、最愛の恋人エミリーが誘拐されてしまう…。
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