愛知県知事のリコール署名にアルバイト動員か。責任は誰に?もっとも重大な問題点は?
愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)のため、リコール活動団体が県の選挙管理委員会に提出した署名簿のうち8割以上が偽造によるものと判明。愛知県民の名前や住所などが記された名簿から署名簿に書き写す行為を、名古屋市の広告関連会社の下請け会社が、大手人材紹介会社を通じて募集したアルバイトに作業させていたという報道がありました。
同県選挙管理委員会は、提出された約43万5000人分の署名うち約36万2000人分を無効と判断。大量の署名が偽造された疑いがあるとして、容疑者不詳のまま県警に刑事告発したと発表しました。
日刊紙の取材では、実際に人材派遣会社のサイトで「名簿の書き写し」のアルバイトに応募し、「偽の署名を書く作業とは知らずに」作業をした人の話などが生々しく語られています。
リコール運動を主導した美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長や、運動を支援した名古屋市の河村たかし市長らはともに関与を否定。困惑は各方面に広がっています。
「県知事のリコール」という重大な局面に対し、県民が直接意思を表明できる唯一の方法であるはずの署名でこうした不正が行われたことは、愛知県民だけでなく民主主義の根幹を大きく揺るがすものとして、大きな波紋を呼んでいます。
今後の捜査では、大規模な組織的不正に発展する可能性もあるようです。現時点で浮かび上がる問題点などを、弁護士の半田望さんに聞きました。
リコール制度の悪用は、制度そのものの公平性を損ねる前代未聞の重大犯罪。日本国民全体の問題として今後の捜査を厳しく注視するべき
Q:愛知県の大村知事に対しては、2019年の「あいちトリエンナーレ」の展示内容などを巡り、知事を批判する人を中心にリコール運動が始められた経緯があります。県知事などのリコール(解職請求)とは、本来どのような手順で行われるべきものでしょうか?
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リコール(解職請求)とは、住民の身近な生活に関わる地方自治において、的確に機能的に住民の意思を反映させる手段として導入されている制度です。
地方自治の運営が民意に基づいて誠実に行われているかどうかを住民自らが監視し、万一著しく民意に反するものであると多数の住民が判断した場合には、都道府県知事や市町村長、地方公共団体議員などの要職者に対して、任期が終了する前の解職請求や、地方自治体議会の解散を請求できるという制度です。
具体的には、一定数の連署(署名)を集め、その代表者から地方公共団体の選挙管理委員会に対し、解職請求や議会の解散請求をすることができます。これを受けた選挙管理委員会は、署名期間や必要な署名の数などの請求要件を満たしている場合に、有権者に請求要旨を公表し、全ての有権者が参加する住民投票を実施しなければなりません。
住民投票によって解職・議会の解散の是非が判断され、その結果によっては出直し選挙が行われることにもなります。
リコールの署名をもって直接解職・解散ができるということではありませんが、「住民投票を行うかどうかの意思表示をする」という点において、少なくともスタートラインに立つことができる制度と言えるでしょう。
Q:解職請求については、2016年に政治資金の公私混同疑惑で批判を浴びた当時の東京都知事に対するリコールの声が出たことが、全国的に話題となりました。結果は本人の辞職というものでしたが、批判の声が出ても実際にリコールが成立し、投票に至る事例はあまり多くないような印象ですが
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実際にリコールを求めようとする声があがっても、リコールが成立するための要件を満たすのは簡単ではありません。その自治体の有権者数に対して定められている割合の署名数を、都道府県で2カ月、市町村で1カ月と限られた期間内に集めることは、有権者数が多い地方自治体ほど難しいという現実があります。
リコールが成立し、首長の解職までに至ったという数少ない事例の中でも特徴的なものに、2010年鹿児島県阿久根市長のケースがあります。当時、阿久根市の竹原信一市長が、議会を招集せず専決処分で市政運営を続けるなど議会と対立。住民の強い反発を招いてリコールが成立したもので、住民投票の結果、失職となりました。地方自治体の首長のリコールでは、公共事業などに関わる特定の政策課題や、市町村合併などを巡る対立が要因となったケースがほとんどであるのに対し、「その政治姿勢や手法そのものが争点となったのは異例」と、当時話題になりました。
残念ながら過去にも、不適切な行動が発覚したなど、首長や議員の政治姿勢、政治手法などが原因で何らかの問題が起き、それに対して批判の声が高まることはたびたび報道されてきました。
そのような声に対しては、それだけ多くの批判が集まったという現実に直面するわけですから、前東京都知事のように、本人が「これ以上政治活動を続けていくために必要な支持を得ることができない」と限界を感じて「辞職」するケースが大半です。
阿久根市長のケースでは、県知事や総務大臣の再三の是正勧告にも従わず、リコールが成立するまで態度を変えなかったために、最終的に住民投票にまでもつれ込み、住民投票で市長の解職が決まるという経緯は人々の注目を浴びることになりました。
Q:自治体の有権者数の数でリコール請求の成立の難易度が異なるのはなぜですか?
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人口が多い都市部ほど政治的な問題に無関心な人の割合も多いですし、たとえ一部の人が問題意識を持っていたとしても、それがほかの大多数の人に共通する問題とはなりにくいものです。そのうえ、前述のように人口が数万人の自治体と数百万人の自治体とでは、署名を集める人為的労力やコストの点でも大きな違いがあります。
実際に首長レベルでのリコール成立事例は、いずれも比較的人口の少ない市町村に限られています。数十万人を大きく超える都道府県レベルとなると、過去にリコールが成立した例はありません。
東京都や今回の愛知県のような数百万以上の有権者数を抱える自治体のリコール成立は、極めて高いハードルとなります。都市部でのリコールの動きには、差し迫って解職そのものを求めることが目的と言うより、主張に対する注目度を高めることや、パフォーマンス的要素が強いケースもあるのかもしれません。
Q:今回の愛知県知事のリコール請求不正署名についての問題点を整理すると?
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現時点で報道されている事実は、「愛知県の大村秀章知事のリコール運動で提出された署名の8割を超えるものが無効と判断され、県選挙管理委員会が『大量の署名が偽造された疑いがある』として、地方自治法違反の疑いで、県警に容疑者不詳で刑事告発したと発表した」というものです。
今回の問題の最大のポイントは、「署名の偽造という犯罪行為が組織的に行われた疑いがある」という1点に尽きます。
本来民意を反映する手段であるリコール制度が、組織的な偽造署名という民意を反映しない違法な行為で行われたことが問題なのです。
さらにマスコミの取材では、名古屋市の広告関連会社の下請け会社が、大手人材紹介会社を通じてアルバイトを募集し、佐賀市内の貸会議室で名簿を書き写させていたということが明らかになっています。取材が進むにつれて、「名前を書き写すだけの簡単な軽作業と言われた」「名前や住所が書かれた名簿を手渡され『了承をいただいているので、おかしなことはない』と言われ用紙に書き写した」などと、この偽造署名に参加した人の具体的で生々しいやりとりの様子も語られています。
次々に判明するこのような事実からは、個人情報の取り扱い、虚偽の説明など多くの疑いがあるようにも見えるかもしれませんが、これらは「署名の偽造」という行為の重大性の前には、極めて些末な問題にすぎないように思います。
厳しい要件が求められるリコール請求において、署名簿に8割以上の不正があるということは、組織的な行為を疑わざるを得ない結果であり、仮に組織的になされたとすれば、まさに前代未聞の悪質な犯罪と言わざるを得ません。
Q:現時点で、不正署名については容疑者不詳のまま刑事告訴され、受理されています。今後の捜査ではどのような点について重点的に捜査されると考えられますか?
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本来なら選挙管理委員会は、前述のようなリコールのための厳しい要件を満たさなかった段階で、請求を受理することもなく、リコール成立のための署名審査を行うことはありません。
にもかかわらず、今回選挙管理委員会が問題視した背景には、報道にもあるように不正に関する多数の情報提供があったためと言われています。
こうした提出書類に署名する際には、ほかの公文書と同様、署名する本人が自らの意思で記入することが大前提であるだけでなく、記載内容の表記のしかたも厳密に定められています。
氏名や住所の正確な漢字や番地の表記など、細かい部分で書き間違いがあっても無効になってしまうのです。そのため要件に基づいて正当に集められた署名の中にも、一定割合はこうした書き間違いなどによって無効となる可能性はありますが、今回のように8割以上もの大多数が無効となるなどは不自然極まりないとしか言いようがありません。
また署名を集める行為を、第三者の民間業者に有償で委託すること自体は違法ではありませんし、当該地域以外で有権者に署名を求めることも、場合によってはあり得ますが、わざわざ愛知から遠い佐賀県内で他人の署名を書く作業を行わせることに、合理的な説明がつくとは思えません。
いずれも組織的な犯罪行為を疑わせるものとして、「誰が主導的に指示を行ったのか」「目的は何か」など、今後さらに詳しく捜査がなされると思われます。
Q:本来なら有権者の権利として、民意が直接行政に反映されることが正当に認められているはずのリコール請求です。今回のことで最も問題だと思われるポイントは?
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言うまでもなく、許可なしに他人の署名を偽造するという犯罪行為は、あってはならない許しがたいものです。それが、民意を反映する手段であるリコールに際しなされたものであればなおさらです。
民主主義のもと、有権者であっても個人の意思で行政を動かすことは簡単なことではありません。
特に選挙によって選ばれた首長の解職などという重い判断は、厳正かつ慎重なものでなければならず、そのための直接請求は住民の意思が最も尊重されるべきもののひとつです。
市民生活に深く関わる地方自治において認められている、数少ない民意の表し方であるリコール制度を偽造署名によって実現しようとしたことは、制度そのものの公平性を損ねる恐れがあります。
それは結果的に愛知県民だけでなく日本国民全体の不利益にもつながりかねません。
愛知県の大村秀章知事や県選挙管理委員会の加藤茂委員長がそれぞれ発表した「偽造が行われていたとすれば、民主主義の根幹を揺るがす由々しき事態だといわざるを得ない」という談話にも、この問題を非常に重く受け止めていることがうかがえます。
直近では、求人ウエブサイトの運営会社が、知事や選管委員長の談話と同じ見解を示しながら、「常に法に照らしてチェックしているが、仮に署名偽造に協力するアルバイトの募集案件が投稿されていたとすれば、大変遺憾であり、そのような事態を防げなかったことを申し訳なく思う」とサイト上にメッセージを出しています。
知らない間に名前を使われていた人はもちろん、署名の偽造に図らずも関わることになってしまった多くの人、今回本人の意思で規定に添って署名した約2割の人、それぞれに重い罪の意識や不信感を与えてしまったことは、直接的な不利益以上の痛手を心に刻むことにもなりかねません。
犯罪行為を裏付ける事実がここまで明確に出ている以上、その首謀者は経緯を明らかにする必要があります。
繰り返しになりますが、この問題は当該地域である愛知県や佐賀市だけでなく、日本国民全体の民主主義の公正さに関わることです。今後二度と再発を許さないためにも、決してうやむやにすることなく、多くの人が厳しく真相究明を注視するべきだと考えます。
今までのところ、リコールの活動団体は不正への関与を否定していますが、偽造署名に関わった人や民間業者などからは誠実に情報提供がなされているようですので、今後の捜査が速やかに行われ、事実が明らかになることを期待しています。
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