かけがえのない日常を描く短編集〜奥田英朗『コロナと潜水服』
奥田英朗さんの小説を読むとたいてい心に浮かんでくるのは、「身につまされる」という言葉だ。奥田作品と一口にいっても読み心地は幅広くて、『最悪』(講談社文庫)のようなエッジの効いたものももちろんすごいのだが、個人的には『家日和』(集英社文庫)などのそんなに大きな事件は起こらないけれどもかけがえのない日常が描かれた小説が好きだ。そして、『コロナと潜水服』もそういった作品5編が集められた短編集である。
いちばん気に入った作品をあげるとしたら、うーん迷うな。「パンダに乗って」もすごくよかったのだけれど、会社の”追い出し部屋”に集められた中年サラリーマンたちの悲哀と再生を描いた「ファイトクラブ」を推すことにする。主人公の三宅邦彦は、「早期退職の勧告に最後まで抵抗し続けていたら、総務部危機管理課という新設の部署に異動させられた」家電メーカーの会社員(46歳)。専業主婦の妻・高校生の娘・中学生の息子の4人家族だ。教育費も家のローンも車の月賦もまだまだ支払う必要がある身では、やりがいのない仕事であっても辞めるわけにはいかない。同じ課に所属するのは、邦彦が言うところの「真面目ないい人間」ばかり。最年長の岩田は、元エンジニアだが研究部門が取り潰されて肩叩きの対象に。沢井も岩田と似たような境遇で、元営業部だったが業務縮小によりポストがなくなった。元資材部の酒井は、2人の子どもがまだ小学生。元事業部の高橋には、認知症の父親がいる。こうして列記しているだけで泣けてきた。生活していくってほんとたいへんなんだよな…。
それぞれに日頃の運動不足を思い知らされるできごとがあり、沢井がふとここの倉庫には使われていない運動具がたくさんあると言い出す。以前は実業団のチームをいくつも擁していたためで、筋トレマシンや走り高跳びのポールやバレーボールのネットなどが詰まったコンテナの中に、ボクシング用品も揃っていた。「あしたのジョー」の力石を気取ったりしているうちに興が乗って、翌日の終業後に全員が再び集合するという流れに。そこへひとりの老人が現れ、初対面の邦彦たちにビシビシと発破をかけ、コーチのようにボクシングの指導を始める。初めは戸惑っていた邦彦たちだったが、終業後のボクシングのトレーニングが貴重な楽しみとなっていく。さて、コーチの正体とはいったい…?
登場人物たちが意に染まない仕事をさせられる設定には心底弱い。なぜなら、亡くなった両親も自分のやりがいなどは二の次三の次で、私と弟を育ててくれたからだ。世の中には自分の好きな職業に就いて、仕事をするのが楽しくて楽しくてしかたないという人もいるし、そういう登場人物が出てくる小説も多数存在する(そういう本も、もちろん大好物だ)。でも、希望の職に就けなかったというケースの方がはるかに多いと思うし、そういう人たちを肯定したり応援したりする小説がもっと出てきてほしい。「こんな仕事は気が進まない」と初めは思っても続けているうちに思わぬおもしろみに気づいたり、職場の人間関係などによっては前向きな気持ちになれたりすることもある(経験者は語る。私自身そうだったから「身につまされる」のだ)。自分たちを閑職に追いやっている側の社員に対し、一定の理解が示されているのも心に染みる。
新型コロナウィルスを真正面から扱った表題作も印象深い。最近コロナを題材にした小説を目にするようになったが、まだ未知の部分も多いし小説家としては難しい題材なのではないかという気がする。それでも、奥田さんのユーモアに満ちた文章によってこの非常事態における不自由さや息苦しさが緩和され、たいへんだけどなんとか楽しみも見出せそうな気持ちがわいてくるのがありがたい。
さて、本書の5編にはある共通点が。ここではネタばらししませんので、ぜひお読みになって確かめてみてください!
(松井ゆかり)
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