現実と記憶の不調和、組織がはらむ不条理を描く十二篇
岡本俊弥『千の夢』(オンデマンド)
岡本俊弥はSF書評のベテランだが、創作のキャリアも長い。本書は四冊目の短篇集で、オンライン・マガジンに発表した十二篇を、改稿を加え収録している。電子書籍とオンデマンド版で入手可能だ。
表題作は、個人の毎日をつぶさに記録し、それを元に物語をつくりだす情報端末「ステラ」の顛末を、開発会社の社員の視点で綴る。ステラの物語はニュートラルなものではなく、持ち主に希望を与えるよう調整されている。簡単に言ってしまえば現実の改変だが、そもそも人間の記憶が「ありのままの現実」ではなく事後的に構成されたものであり、ステラはそれを加速させるだけとも言える。情報技術のガジェットを投入することで、現実と記憶というテーマを前景化する。グレッグ・イーガンやテッド・チャンに通じるところがあるが、岡本作品は認識論を突きつめる方向ではなく、現代社会の憂鬱をじわりとあぶりだす。
会社組織の内側から描かれていることが、この作品の重要なポイントだ。組織は所属する個人にとって拠り所であり、抑圧でもある。個人は組織のすべてを見わたせないし、内部にいるからこそ見えない部分への不審が募る。
この感覚は、本書に収められているほかの作品にも共通する。解説を担当した水鏡子氏(著者とは大学SF研以来の盟友)は、眉村卓の「インサイダー文学論」に言及したうえで、岡本俊弥に眉村卓の影響が見られること、しかし、展開される世界は天国と地獄ほど違っていると指摘する。
地獄という言いかたは極端だと思うが、確かに岡本作品には不安や不条理が垂れこめる。感触としてはフィリップ・K・ディックのニューロティックな短篇に近い。だが、ディックのような強迫観念ではなく、正気のままに立ちすくむ感じだ。
岡本俊弥は大学でシステム工学を学び、大手電機メーカーで定年まで勤めたキャリアの持ち主だけあって、作中における製品開発、リソースの調達、販路戦略などのビジネスのディテールはきわめてリアリティがある。そのいっぽうで、人間関係はかなり希薄で、それが全体の不条理感につながっている。
「同僚」という作品は、サテライト・オフィスでの遠隔勤務を題材に、希薄化する人間関係における同僚の意味を問いかける。この作品でも記憶が重要なテーマになっている。現実そのものではない記憶を否定的に扱うのではなく、淡い余韻を残す結末が素晴らしい。
「シルクール」では、アフリカの小国シルクールが輸出高を伸ばして、わずか十年のうちにGDP大国へと成長していく。語り手が最初にシルクールを意識したのは衣料品だったが、注意して見ると雑貨にもシルクール製品があるし、そのうち大型家電にも入りこんでくる。まるで市場がすっかりシルクールに置き換わっていくようだ。いや、市場だけではない。生産や経済までシルクールに席巻される。しかし、シルクールという国の実体はほどんど明らかになっていない。
「陰謀論」は、実績評価の企業で管理職になった歌織が、部下である芳河(うだつのあがらぬ年輩男性)との面談をきっかけに、陰謀論がじわじわと蔓延っていることに気づく。当初は受け流していたのだが、やがて社内における彼女の立場が危うくなる事態が起こってしまう。不協和音がしだいに高まるサスペンス小説として進行し、物語後半に至って陰謀論の背後の潜む真相が明かされることで、急激にSFへと転調する。真相がわかったからといって光が差しこむのではなく、いっそう闇が濃くなるのだが。
(牧眞司)
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