『千日の瑠璃』486日目——私は詩だ。(丸山健二小説連載)

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私は詩だ。

僅か三歳にして独行の精神を持ち、ひと晩中考え倦むこともある幼児、彼が口ずさむところの詩だ。天授の才に恵まれた彼は今、飛び切り辛口のカレーライスを誰の助けも借りずに食べながら、思いつくままに、霊と肉の戦いから生じる暗い肯定の言葉と明るい否定の言葉を、テーブルの上に並べてゆく。商売用の言葉しか知らない彼の両親は、仕入れた野菜を並べる仕事や馴染みの客の応対に忙しく、わが子が即興で組み立てる、意味深くて美しい言葉にまったく気づいていない。

私はまず黄色い人参を賞讃し、ついでその人参を紙袋といっしょに売りつける男を痴れ者ときめつけ、それから、果物だけで人参を買おうとしない真向いの黒いビルに巣くう猛々しい顔つきの男たちを哀れむ。そのあと私は、何の変哲もない幼児語を存分に駆使して、人参を好んで食べたがる人々の後先の考えもない軽率な行動を嗤い、なぜか人参を食べたがらない人々を不逞の輩呼ばわりし、そのくせ両者をよしとする。そして、武器の言葉でまほろ町の病弊を鋭く抉り、因習を打破する。

そこへほとんど言葉に頼らずに生きる少年世一が裏口から入ってきて、勝手にカレーライスをよそって頬張る。気脈を通じるふたりは、スプーンをぶつけ合って挨拶を交す。八百屋の子どもは、どこかで寸法が狂ってゆく人々について高踏派の調子で詠み、世一はそれを抒情の口笛で補強し、人参をぺっとはき出す。
(1・29・月)

丸山健二×ガジェット通信

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