『千日の瑠璃』475日目——私はお説教だ。(丸山健二小説連載)

 

私はお説教だ。

世一の母親があまりの怠慢を見るに見兼ね、腹に据え兼ねて、職場の同僚にたれるお説教だ。かなりきつい口調だったにもかかわらず、私の効き目はまるでなかった。相手の耳に達する前に、彼女の胸のところについている青い鳥のバッジが、悉く跳ね返してしまっていたからだ。彼女はもう半年前の彼女ではなかった。それでも世一の母はつづけた。働くなら働く、休むなら休む、辞めるなら辞めるとはっきりさせなくては仲間に迷惑がかかるし、パートの勤めとはいえ無責任に過ぎる、と言った。ついで、「あんな立派なオートバイを買うお金をどうやって手に入れたの?」と詰問し、そこまで立ち入られたくない、と娘が言うと、「あんたはすっかり変ってしまったね」と言い、身元保証人になったことを後悔している、と言った。娘は顔を伏せた。

金属性のオオルリの鋭い眼に射すくめられて、世一の母はいくらか声を和らげた。「わたしはねえ、あんたのことを心配してんのよ」と彼女は言ったが、その言葉もしり切れとんぼに終り、あとは何も言えなかった。化粧がこのところ急に濃くなった娘は、ふたたびその顔をあげ、「わかりました」と言い、「辞めたらいいんでしょ、辞めたら」などと言いながら青いユニホームを脱ぎ棄て、被り物を叩きつけて、降りしきる雪のなかへと出て行った。そして私は足早に立ち去る彼女の肩から滑り落ちてしまい、雪の下敷きになった。
(1・18・木)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』475日目——私はお説教だ。(丸山健二小説連載)
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。