小学校での「あだな禁止」や一律「さんづけ」ルールに賛否。呼称の制限はいじめの抑止になるのか
「いじめの抑止を目的に、クラスメイトをあだ名で呼ぶことを禁止する小学校が増えている」という話題に対してSNS上で賛否の声があがり、一時「あだ名禁止」がツイッターでトレンド入りするまでに。屈辱的なあだ名で呼ばれて不登校になった経験から「とても嫌だった」「今でも当時のクラスメイトとは距離を置いている」と話す人がいる一方、「あだ名はコミュニケーションを円滑にする」「親しみをこめた愛称は呼ばれてうれしかった」という声もあります。
いじめ抑止についても、「なんでも規制すればいいというものではない」「論点がずれている」「かえっていじめ行為自体が見えづらくなるのでは」と危惧する意見も出ています。近年各地の小学校では、先生や子ども同士が性別に関わらず「さんづけ」で呼ぶというルールが主流になっているようです。
悪意あるあだ名は問題ですが、教育現場で禁止にすることは果たして現実的な方法なのか、あだ名文化はどうなっていくのか、スクールカウンセラーの須田泰司さんに聞きました。
心の距離を近づけるコミュニケーションツールの制限は、いじめ問題の本質から目をそらす「トカゲの尻尾切り」のようなもの。教育現場は、豊かな遊びの感性を育む場であるべき
Q:いじめ抑止を目的として、あだ名禁止を学校のルールとして取り入れる小学校が全国に広がりつつあるようです。その背景は?
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いじめが深刻な問題として取り上げられ始めた1990年代から、学校教育の現場で、いじめの早期発見や防止策を探る動きが出始めました。国の法整備が進み、ガイドラインが示されるなど、学校は、それまで以上に取り組みを強化していくことが、求められるようにもなりました。
対策を講じるべく、教育現場でいじめの兆候を早期に発見し、未然に防ぐ方法を模索するなか、子どものあだ名や呼び方にも注目する風潮が広がったようです。
一方で、現場の教師の取り組み方が、学級運営の評価として用いられる状況にもなっています。問題行動をとる子どもや、悩みを抱えている子ども一人一人に向き合い、個別に対応すべき場合でも、教師の考え方や能力によっては、全てのケースに適切な働きかけができるわけではありません。
そこで一部の学校では、子どもが問題行動をするに至った本質的な原因に気を配るのではなく、いじめの訴えで多い「身体的特徴をやゆするあだ名で呼ばれた」「侮辱的な呼び方をされた」など、いじめにつながりかねない行為そのものをやめてしまおう、ということに行き着いたのではないでしょうか。
Q:教育現場での呼称について、文部科学省からの指導は特にないようですが、昨今の小学校では、どのような考え方があるのでしょうか
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いじめ問題が深刻化するに伴い、1990年代後半あたりから、それぞれの学校で、教師からの呼び捨てや生徒同士の呼び方について工夫がなされてきました。学校長の権限で決めることができる校則として定めるのではなく、あくまで学級単位で、教師の裁量とされてきたようです。
現状では、教室の中では教師も子ども同士もお互い「さんづけ」で呼び合うことが一般的ですが、それ以外では、幼い頃から慣れ親しんだ呼称を使うということが日常の風景です。
いずれにしても「乱暴な言葉づかいや悪意あるあだ名は良いものではない」ということから、こうした使い分けについて、保護者も子どもも多少の違和感は抱きつつも、暗黙の了解で特に抵抗なく受け入れられているようにも見えます。
教室内で呼称を統一することには、「かえっていじめの兆候を見逃すことになるのではないか」「親近感が薄れてしまう」といったマイナス要素があるものの、「現場での柔軟な対応が難しい」といった状況を鑑み、「集団規律を重んじる方向へ流れた」とも言えるかもしれません。
Q:いじめ対策としてのあだ名禁止や、一律「さんづけ」などの呼称の制限は意味があるのでしょうか?
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「お互いを尊重する気持ちを育む」といった意図から、教師による呼び捨てなどに抵抗が生まれてきたようですが、「さんづけ」について、ジェンダー尊重の意識と関連付け、それだけを主な目的とするのは、小学生レベルではあまり意味がないかもしれません。
本来主眼となるのは、集団の中で生きづらさや問題を抱えた子どもが、いじめの当事者になったり不登校になったり…ということを「いかにして救済するか」ということです。
早い段階でそうした状況にある子どもを発見し、個別に対応することと、子どもが属する集団全体を居心地の良いものにすることは、どちらも大切で欠くことができません。
ところが、問題を抱えている子どもに対して、担当教師が柔軟できめ細かい手だてができるかというと、残念ながら必ずしもそうとは言えません。学校組織の問題、それぞれの教師の熱意や能力、教師間のコミュニケーション不足など、指導者側の事情が大きいとも言えるでしょう。
悪意あるあだ名を禁止すれば、他の問題が解決するわけではありません。前述のように「教師の評価につながりかねない」などの事情で統一しようとすることには、意味がないように思います。
Q:オンラインゲームでは、低学年でもオリジナルの名前を持つことが珍しくありません。また、一般社会ではSNS上のハンドルネームでさまざまな活動ができます。教育現場の一律呼称に違和感を持つ人も多いようですが。
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学校でどのような規則があろうと、教室以外では、子どもも保護者も慣れ親しんだ愛称で呼び合うことが自然です。低学年では外見上の特徴をあだ名にしがちですが、よほど欠陥をやゆするようなものでない限り、全てに過敏になる必要はないと思います。
保護者の中には「一般常識やしつけは学校に任せる」という人も多く、学校現場の一律呼称を「大きな問題として捉えていない」という可能性もあります。
一般社会では、SNSなどで本名以外を名乗って活動することが一般的ですし、子どもの世界でも、ゲームなどで自分のキャラクターにニックネームをつけることがあるようです。中にはとても印象的で上手な名前をつけている人もいます。リアルな日常においても、自分で呼んでもらいたい名前をつけることも、愛称で呼び合うことも、なんの問題もありません。
SNS上であっても、また相手が子どもでも大人でも、仲良くなりたいと思って歩み寄るときに、こうした愛称は安心感を与えます。うまいネーミングには、誰しも特別に興味が湧くものです。
ただ、子どもが匿名でゲームやSNSをすることについては、また別の問題が発生する恐れがあるので、注意深く見守る必要があります。
Q:あだ名やニックネームは、本来親しみや温かみを感じるものであるはずです。あだ名の効果とは?また、あだ名文化はどうなっていくのでしょうか?
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生まれながらに持つ名前は、簡単には変えられないですが、自分自身や親しい者の間で、愛情を込めて名前をいじることは、いつの時代にも行われてきたことです。
アニメ番組のキャラクター「ジャイアン」「ジャイ子」や、スポーツ選手の「ハンカチ王子」「おかわりくん」など、人気者ほど親しみをこめた愛称で呼ばれています。
SNSのハンドルネームにも個性的なものや、うまくできているネーミングが見られます。暮らしに浸透しているあだ名の文化を考えるとき、こうした遊びの感性を育てることも、教育の大きな目的のひとつだと思います。
私どもが運営するフリースクールでは、子どもたちと気軽に呼び合えるよう、受け入れる側のメンバーは全てニックネームで紹介しています。自分のことを理解してもらう方法や触れ合い方がわからないという子どもにとって、こうしたニックネームでのやりとりは安心感を与え、心の距離を近づける大切なコミュニケーションの助けにもなります。
「あだ名禁止」の論理には、苦しい思いを抱えているいじめの当事者や、問題行動を抑えられずにいる子どもの心を理解しようとする、本来の目的が見えません。
少しでも不都合な現象につながる要因は、前もって排除しておこうという「トカゲの尻尾切り」のような考え方は、もっと大きな問題が見過ごされているように思われて、大変残念です。
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