『千日の瑠璃』435日目——私は「いずれまた」だ。(丸山健二小説連載)
私は「いずれまた」だ。
まほろ町の得てしてずぼらを決めこみたがる人々が、挨拶代りに日に幾度となく口にする、「いずれまた」だ。かれらは、私を多用し、連発することで、狭苦しい地域社会における人間関係というやつを、ともあれ円滑に保ちつづけている。かれらは私を利用してもうそれ以上交際を深めたくない相手を追い払い、もしくは、再会したい相手の心中に名刺よりはずっとましな印象を与える。
そして私はきょう、暴力団の進出阻止の趣旨に賛する人たちの集まりで、大活躍をしたのだ。せっかく盛り上がりかけていた暴力追放の気運も寒風に晒されて急に萎んでしまい、気乗りしない顔ばかりが眼につき、これではまほろ町の名折れだと言って息巻く町長の演説にしても、結束して社会の敵に当たるべきだと警察署長が会衆に向けて飛ばす気合いの入った檄も、結局は私によって腰砕けになり、盛会裏に終ったなどとはお世辞にもいえなかった。運動推進の立役者が欠けていた。
すでに人々の関心は、三階建ての黒いビルから、うたかた湖を中心にした風致地区のリゾート開発計画へと移っていたのだ。「繁栄にはああいうごろつきは付き物だ」とうそぶく者の数が増え、「ああいう連中の嗅覚は犬よりも凄いな」と感心する者もいた。誰よりも私の愛用者である、鬘をつけた、役場の職員が、部下にこう言った。「どうしてあいつらがこんな田舎に眼をつけたのかこれでわかったよ」
(12・9・土)
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