『千日の瑠璃』415日目——私は耳だ。(丸山健二小説連載)

 

私は耳だ。

針が床に落ちるような微音まで正確に聞き分けられ、ときには発せられてもいない声なき声まで聞きつける、盲目の少女の耳だ。このところ、どういうわけか金銭に関したひそひそ話が急増している。まほろ町の人々は打算を巡ってぐるぐると回り始め、潤いのある生活とは何かという自問を繰り返している。そして私は今、親になり代って、この少女を是非善悪の弁別がつく子に育てつつある。

巷では掛け値のある話が増え、時好を追い新奇を好むようになった者たちが交す浮いた話が増えた。また、これまで放恣な日々にどっぷり浸ってきた小心者が、突然人生の究極について激越な口調でまくしたてることが増え、信用できない相手から確たる約束を取りつけるために幾度も幾度も念を押す声が増え、「何なりとお申しつけください」と言う銀行員のへりくだった声がとても増えた。

しかし、一言のもとに断わる者の声が滅り、悲報に接して嘆息する者の声が減り、簡明にきっぱりと答える者が減ってきた。そうかと思うと、オオルリのさえずりと紛らわしい鳥の声が聞え、盛り場の方からは酒を無理強いする声や、人の粗をほじくる声ゃ、喧嘩を焚きつける声や、不実の申し立てをする声ばかりが届くようになった。この私が聞きたいのはそうした音声などではなく、優しい心根に違いない少年世一のゆったりとした足音であり、彼が没我の境に入って吹き鳴らす口笛だった。
(11・19・日)

丸山健二×ガジェット通信

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