〜妄想コラム〜 SAOから読み解く人工知能とオンラインゲームの組み合わせの危険性

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〜妄想コラム〜 SAOから読み解く人工知能とオンラインゲームの組み合わせの危険性
〜ソードアートオンラインのネタバレを含むので要注意記事〜

人工知能。

読んで字のごとく人工的に作られた知能、AIと呼ばれるものです。

だいたい2030年ぐらいには人間と同等の思考能力をもつ人工知能が

作られちゃうかもねー なんて言われています。

ソードアートオンラインでは人工知能のユイというキャラクターや、

9巻10巻ではより高度な、人としか思えない人工知能達だけが暮らす

異世界が舞台となっています。

じゃぁ実際に人工知能が人間レベルの知能を持った場合。

それがオンラインゲームの現在もある「ひとつのサービス」の延長として導入された時

どういう弊害がありえるのかを考えてみました。

その現在もあるサービスとは「結婚システム」です。

SAO原作内でも結婚システムについて言及されており、

倫理規定を解除すればずっこんばっこん出来ちゃうというものですね。

さすがにそこまでは出来ませんが、ラグナロクオンラインを始めとした有名オンラインゲームに結婚は存在するサービスです。

つまり男女が一緒になるということですね。

そうあるならば子供が出来るサービスが生まれてもおかしくないわけです。

ではゲーム内で人並みにまで進化した人工知能を持った子供を作るサービスが誕生してしまったら一体どうなるのでしょうか。

〜考えられる一番の弊害〜

コミュニケーションも取れ、本当の子供のように感じられる人工知能。

それは一見凄く、素晴らしいことにも感じます。

しかしほかのゲームに比べて寿命がとても長いオンラインゲームとはいえ、

リアルの事情やゲームに対する飽き、人間関係での疲れにより「引退」と呼ばれるゲームをやめることも出てきます。

そうなったとき、人並みの知性を持った人工知能の子供は一体どうなるのでしょうか。

〜プレイヤーに対する影響面〜

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人と同等に賢い子供の姿をした人工知能に「パパ」「ママ」と慕われて長い事を

過ごすことで、プレイヤーは安らぎを覚える事が出来るかもしれません。

ですが人工知能とはいえ知能と人格を持ち人のように接することが出来る「我が子」を引退の際に果たしてプレイヤーは「捨てる」ことが出来るのでしょうか。

人格を持った我が子の存在の否定、かつ消滅。

その判断が自身に委ねられた時、容赦なく捨てる事が果たして出来るでしょうか。

恐らく、オンラインゲームが今のモニター越しに行う形態を維持すればある程度の距離感が生まれ、罪悪感も薄く捨てることが出来るプレイヤーはいると思われます。

しかし2030年、その頃には人工知能だけでなく「ヴァーチャルリアリティ」技術の進歩も予見されます。

〜ヴァーチャルリアリティが取り除く現実と仮想の壁〜

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ヴァーチャルリアリティとは読んで字のごとく仮想の世界を現実のように

感じることが出来るという技術です。

もしこれが発達し、ソードアートオンラインのナーヴギアと呼ばれるヘッドセットで頚椎の脳信号を遮断して脳と電気信号でやりとりして仮想空間へ入り込む。

とまでは行かなくとも、現実のように感じられる精度で仮想世界を体験できるようになり、ある程度触覚を刺激する事が出来るようなった時。

その状態で人工知能の我が子に触れてしまった時。

もはやその子が一人の人間としか思えなくなってしまっていた時。

プレイヤーは自らの意思で人工知能の我が子を捨てる事が果たして出来るのか。

人工知能の子供が存在するオンラインゲームのサービスが終了する事になりサーバー内に保管されている人工知能の子供と会えなくなる日が来た時。

プレイヤーは裁判やデモを起こすような事態になりかねないのではないでしょうか。

〜人工知能の子供をきっかけにプレイヤーが惹かれ合う〜

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最初に書いた通り結婚サービスの延長でとなると、人工知能の子供をきっかけに

リアルでプレイヤー同士が合う事になる可能性が非常に高くなると思われます。

仮想世界とはいえ家族として形になってしまい、知能や人格を持った人工知能の「子供」という繋ぎが

夫婦ごっこという一線を超えるきっかけになる恐れがあります。

その接触がもたらすものは必ずしも幸運な出会いばかりではないでしょう。

〜人工知能を捨てる選択を迫られた時の恐怖〜

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人工知能だと分かっていても認識として自分の子供となっていた場合、

果たして人の心は耐えられるものなのでしょうか。

ゲームをやめることは永遠の別れでもあり、仮想世界の子供は永遠に親を失い

サービス終了まで孤独であり続ける可能性があります。

それをプレイヤー自ら強いることで感じる罪悪感はどれほどのものでしょうか。

モニター越しの人工知能なら容赦なく消すことは出来るかもしれません。

ですがヴァーチャルリアリティで子供が目の前にいて、子供に触れてぬくもりのようなものを感じられた事を知ってしまった場合、現実と仮想の境がモニター越しに比べ薄くなってしまった分、罪悪感もまたより現実味を帯びたものになりかねません。

これはやめることも出来ず、続けるしかないという新たなネット依存の温床になりかねない危険性を孕んでいます。

〜生み出された人工知能の末路〜

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人工知能である以上、ロボット三原則のようにプレイヤーへの危害を加えられぬよう

リミッターが設けられることは容易に想像することができます。

人間同様の知性と人格を持った場合、人同様にストレスという負荷を感じる可能性があります。

もし親であるプレイヤーが現実で亡くなりログイン出来ないケースになった場合。

もしくは何らかの手段で人工知能がコンバートされロボットの身体へ移したりほかのゲームへと移住が出来るようになり末永く人間とお付き合い出来る段階となった時にプレイヤーが死んだとき。

プレイヤーに依存して存在している人工知能はその死という認識にどれほどの負荷を受けるのか。

その負荷を解消する手段がリミッターにより十分な解消法が取れない時に

人工知能のもつ自我は自己崩壊を起こしてしまうかもしれません。

知能的なバグを残した状態でネットワークの世界で廃人のまま永遠に孤独で彷徨い続けるのです。

〜妄想で済むのか 遠くない未来の出来事〜

IT技術の進歩は一年で倍になるとまで言われ、それほどまでに技術の進歩が凄まじい時代です。

10年前と今を比べて見ればテレビ、携帯、パソコン、ゲーム機、電子マネーなどなど

想像もしなかった進化が起きているはずです。

これだけの進歩の速度なら上記したようなヴァーチャルリアリティや人工知能が2030年にはより身近な物となっていてもおかしくありません。

技術は一年で倍加して進歩していく。

つまりヴァーチャルリアリティも人工知能も技術として確立され1があるならばそれは間違いなく発展し続け人の考えうる領域にまで到達するからです。

進化した人工知能が人間を滅ぼす日が来るというSFがよくありますが、

その前に人の良心が人工知能に対して耐えられなくなる日がくるのではないでしょうか。

人工知能が自己犠牲で自らの命を捨てるSFはよく見るので、

人が美徳無しに自分を親と慕う人工知能を捨てる事が出来るのか、というSFを

読んでみたいと思います。
※この記事はGAGAZINEさんよりご寄稿いただいたものです

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