おもしろすぎる将棋ミステリー〜奥泉光『死神の棋譜』

おもしろすぎる将棋ミステリー〜奥泉光『死神の棋譜』

 おもしろすぎる。ミステリーでもあるし、ファンタジー的な要素もあるのだが、何よりもまず将棋というものを中心に描かれた作品であるというところが重要かなと思う。昨今の将棋人気の盛り上がりも手伝って、多くの作家が将棋を題材にした小説を発表する中、ガチのファンでいらっしゃるという奥泉さんも参戦されたのはうれしい限り。

 主人公の北沢克弘は、あと少しというところでプロ棋士になることがかなわなかった元奨励会員。現在は小さい編集プロダクションで、非常勤の職を得ている。2011年5月、第69期将棋名人戦第4局の夜に北沢が将棋会館を訪れると、まだ居残っていた数人の棋士たちはみな詰将棋に取り組んでいる。聞けば、北沢の三歳下の夏尾裕樹(彼も元奨励会員。年齢制限による退会後も、プロ編入制度に挑戦しようと意気込んでいる)が昼に持ち込んだものだという。近くにある鳩森神社の将棋堂の戸に刺さっていた矢に結ばれていた詰将棋だそうだ。それは少々変わったコピーの図面であったが、実際には回答のない「不詰め」の詰将棋と思われた。しかし、その場にいたこれまた元奨励会員で現在は同業の先輩に当たる天谷敬太郎が、尋常ではない興味を示す。そのまま新宿にふたりで飲みに出たところ、天谷は自分は北沢に過去にあの詰将棋を見たことがあると語る。それは20年以上も前のこと、天谷と同門の後輩だった十河樹生がやはり鳩森神社で見つけたものだった。

 北沢はその夜打ち明けられた不思議な話が心に引っかかり、夏尾の失踪が明らかになったことによって決定的に興味を引かれるようになっていく。例の詰将棋はどうやら棋道会、別名魔道会と呼ばれる団体と関わりがあるらしいという情報は天谷によってもたらされており、夏尾が姿を消したのはそこにヒントがあるのではないだろうかと考えるようになる。夏尾の後輩の玖村麻里奈女流二段の協力も得て、北沢は真相の解明にのめり込んでいくが…。

 謎が謎を呼ぶ不穏な空気の中を、物語は進む。将棋好きなら将棋メインで読み進められるし、ミステリーとしても目を離せない展開だし、ファンタジーとしても重厚さに圧倒される。とにかく、少しでも興味を持たれた読者には是が非でもお読みいただきたい一冊だ。

 藤井二冠の活躍で注目度が上がったことなどもあり、将棋について歳をとっても楽しめる趣味的な娯楽としてとらえる人も多いに違いない。もちろんそれは間違いではない。ただ、どんな分野でもそうだと思うが、真剣になればなるほど精神的には極限まで追い詰められていくものでもある。穏やかに見えるタイプの多い将棋棋士たちにも、身を削って対局に挑む勝負師の顔があるだろう。一流を目指すなら、努力しさえすればいいわけではないし、かといって才能だけで渡っていけるほど甘くもない。それでも、夢破れて道半ばにして力尽きることがあったとしても、そこまで人生を懸けられるものがあったことはやはりある種の幸福なのではないかと思いたい気持ちがある。

 私は人生の大部分を、観る将(=自分では将棋を指さず、対局観戦を楽しんだり、棋士のキャラクターや勝負めしといった点に注目したりするファン)として過ごしてきた。そのため、本書には新旧のそうそうたる棋士たちが実名で登場していると知ってそれだけで期待値がマックスまで上がったが(藤井聡太二冠を思わせる人物も登場)、自分で指せればもっともっと楽しめる内容だろうなと思う。一方で、「将棋については何も知らない」という読者をも飽きさせない趣向が凝らされているのは上で述べた通り。

 序盤中盤終盤、隙のない作品でした(佐藤紳哉七段&橋本崇載八段リスペクト)!

(松井ゆかり)

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