『ドリトル先生』の作者・ロフティングが書いた未邦訳の絵本『おかゆ詩集』
動物の言葉が話せる世界でただ1人の医学博士・ドリトル先生を主人公にした全12巻と番外編1巻の『ドリトル先生』シリーズは完結から50年以上を経ても日本を始め世界中で多くのファンに愛されている児童文学作品の金字塔として知られています。同シリーズが多くのファンを引き付ける魅力の一つは、原作者のヒュー・ロフティング(Hugh John Lofting, 1886 – 1947)自身が描いた数々の漫画的で味わい深い挿絵でしょう。
ロフティングは61年の生涯で『ドリトル先生』シリーズ以外に長編『ささやき貝の秘密』(日本語版は岩波少年文庫より刊行)と絵本を4冊、長文詩を1点公表しました。絵本のうち『タブスおばあさん』全2冊は英文学者の南條竹則氏が新訳(2冊目は初訳)を集英社より刊行していますが、今回は未邦訳の1冊で『ドリトル先生のサーカス』と同じ1924年に刊行された『Porridge Poetry(おかゆ詩集)』を紹介します。
“おかゆ詩人”が読み上げる38編のユーモラスな詩の数々
この絵本には合計で38編の詩が収録されており、冒頭は“The Porridge Poet”(おかゆ詩人)と題する“おかゆ詩人”の自己紹介から始まります。仲間の豚が演奏する楽器のリズムに合わせて踊る豚の“ベラ・バージニア”(Vera Virginia)、オペラグラスを手放さないアムステルダムの“ファン・デル・フックおばさん”(Mrs. Van Der Hook)や“野菜の学校”(The Vegetable School)などどの詩もナンセンスとユーモアに満ちており、生き生きとしたタッチで描かれる人物や動物たちの絵はロフティングが優れたイラストレーターとしての技量を備えていたことを再認識させます。
『ドリトル先生』との比較で特に目を引くのは、やはり猫の扱いでしょう。『ドリトル先生』では犬やネズミ、鳥が主要キャラクターとして活躍する機会が多いこともあり、それらの動物にとって天敵である猫はシリーズ全般を通して扱いが悪く、一般にロフティング自身が猫嫌いだったのではないかと言うイメージが形成される原因になっています。しかし、この絵本の詩では驚くほど猫が登場する機会が多く、とてもこれを書いた人物が猫嫌いだったとは思えないほど生き生きとその魅力が描かれているのです。特に“猫のバイオリン弾き”が登場するマザー・グースの一曲『ヘイ、ディドル、ディドル』(Hey, diddle Diddle)がお気に入りのようで、この曲の替え歌が2編も収録されています。そのうちの1編を紹介しましょう。
THE RAT AND GUITAR
YOU’VE heard of the Cat and the Fiddle,
Well, I am the Rat and Guitar.
I play by the moon
Such a beautiful toon
The Cat goes on sleeeping──Ha! Ha!
ネズミとギター
あなたは猫のバイオリン弾きを知っていますね、
ここでは私、ネズミとギターのお話をしましょう。
私が月明かりの下で
美しい音色を奏でると
猫はすやすや眠ってしまいましたとさ──ハハッ!
もう一つ『ドリトル先生』との接点を挙げると、シリーズ第3巻『ドリトル先生の郵便局』(1923年)第3部で豚のガブガブが語ったおとぎ話『魔法のキュウリ』に出て来た料理番小人(The Cook-goblins)が登場する詩があります。ところが『魔法のキュウリ』では主人公の子豚と仲良くしていた料理番小人は、この詩“The Food-hymn of the Cook-goblins”(料理番小人の食べ物讃歌)のイラストではフライパンを使ってソーセージを炒めています。何だかシュールです。
何故か随所に見られる中国趣味
この絵本に収録されている詩の1編『ビアーズおじさん』(Mister Beers)は自宅の庭で47年間、中国に通じる縦穴のトンネルを掘り続けている中年男性が主人公です。ビアーズ氏がどうして中国へ行きたいのかはわかりませんが『ドリトル先生』では余り見られなかった東洋、特に中国趣味がもっと顕著に出ているのが『ウェイ・ハイ・ウォー』(Wei Hai Wo)です。この詩は全くの想像上とは言え、清朝末期の中国を舞台にした珍しい詩となっておりイラストには「羅扶敦夫」(“Lofting”?)と言う漢字のサインまで書かれています。
ヒュー・ロフティング自身は生涯に一度もアジアへ渡航したことはありませんが、次兄であるジョン・ヘンリー・ロフティング(John Henry Lofting, 1882年生)は当時の記録により、イギリスがアメリカと共同で租界を設けていた上海へ1923年に渡航していた事実が確認されています。ジョン・ヘンリーは父親の家業を継いで建築関係の仕事に進み、世界中にあったイギリスの植民地や保護領へ何度も出向いてました。1923年に上海からロンドンへ帰る際には、太平洋を横断してシアトルに寄港してアメリカ国内を陸路で横断しニューヨークからロンドンへ戻っていますが、ニューヨークで船に乗る前に当時はコネチカット州に住んでいた弟のヒューを訪ねて、中国での体験談に花を咲かせたのかも知れません。
アメリカでは2005年に新装版として復刊
『ドリトル先生』は1970年代に第1巻『アフリカゆき』と第2巻『航海記』に人種差別的な描写が含まれるとしてアメリカでは1988年に改訂版が出るまで長く絶版状態となった影響で他のロフティング作品も絶版になってしまい、この絵本も半ば忘れ去られた状態になっていましたが、アメリカでは2005年にフォトグラフィックス・パブリッシング社が旧版ではモノクロ、或いは3色刷りであった一部のイラストを含めてフルカラー化した新装版を刊行しました。この新装版では作者の次男であるクリストファー・ロフティング(Christpher Clement Lofting, 1936 – )氏が解説文を書いており、動物と美食を愛した父親の思い出が詳しく語られています。
PORRIDGE POETRY(Photo Graphics Publishingの刊行物紹介)
http://www.photographicspublishing.com/Export7.htm
画像:“Porridge Poetry”初版本(1924年、F・A・ストークス社)
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