『千日の瑠璃』405日目——私は寿司だ。(丸山健二小説連載)
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私は寿司だ。
握り寿司を更に笹の葉で巻いた、祝い事には欠かせない、まほろ町の寿司だ。世一の家族は私を囲んで上機嫌で喋りまくり、むやみに笑いころげていた。四人は私をつまむ前に交替で入浴し、それから仏壇の前に坐って、丘を残してくれた先祖に礼を述べ、丘を手放すことを詫びた。世一はともかく、ほかの三人がそれほど真剣に先祖を敬い、心の底から感謝したことは初めてだった。
世一は私を笹ごと食べようとして笑われた。勝手につわりと思いこんでいる世一の姉は、巻き寿司にしか手を出せなかったが、それでも笑みが絶えることはなかった。世一の母は「生きてれば何かいいことがあるもんだね」と幾度も言い、言うたびに私を頬張り、やたらに笑った。「不便な暮らしともこれでおさらばだ」と世一の父が言った。そして世一は、私を細かくちぎってオオルリに与えた。だが、青い鳥は玉子焼きをほんの少しついばんだだけで、あとは「どうなることやら、どうなることやら」とさえずるばかりだった。
酒宴たけなわの頃、世一の父は最新の鬘のカタログを禿げ頭にのせて、宴会用の滑稽な踊りを披露した。家ではほとんど笑ったことのない世一までが笑った。そんな息子を見た母親は、こう言った。「この子の病気もよくなってくれるといいんだが」と。父親も姉も頷いた。そうやって私は、冷たい雨に降りこめられた、皮算用の一日を盛りあげたのだ。
(11・9・木)
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