おいしいものが励ましてくれる物語〜冬森灯『縁結びカツサンド』

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おいしいものが励ましてくれる物語〜冬森灯『縁結びカツサンド』

 カツはおいしい。関東出身であることも関係するのか、個人的にはやはりカツは豚肉というイメージがある。村上春樹さんが”関西ではカツといえば牛肉”といった趣旨のエッセイを書いておられて、長らくビーフカツを食べることを熱望していたのだが(そして、実際に食べてみてとてもおいしかったのだが)、トンカツの方が汎用性があることには多くの方が賛成してくださるのではないだろうか(卵でとじる一般的なカツ丼などは、豚で作る方が合う気がするし)。そこでカツサンド。ビーフカツのサンドウィッチももちろん美味だけれど、本書で登場するのは豚肉を使ったものものだ。夏の青空に規則正しく並んだ縞模様の雲を見て、スペアリブを連想してみるのも楽しいと思う(本文ご参照のこと)。

 連作短編集である本書を通じての主役は、東京・駒込うらら商店街にあるパン屋の三代目にあたる音羽和久。「ベーカリー・コテン」というその店は、和久の祖父が始めたものだ。和久が店に立つようになったのは1か月ほど前からだったが、同じパンでも父が焼いたものと自分が焼いたものとで明らかに売れ行きが違うのが目下の悩みである。和久のリサーチによれば常に父が焼いた方のパンを選んで買っていくという理央が、第一話の語り手。理央は理央で、もうすぐ結婚する予定の秀明との間がぎくしゃくしてしまっており…。

 悩みのない人間はいない。秀明の煮え切らない態度を訝しむ理央や、大好きなミユキちゃんがどうしているかをずっと気にかけている小学生の花といった、本書の登場人物たちも然り。しかし、どんなに深刻な悩みがあったとしても、食べなければ生きていかれない。そんなときに、できれば美味なものならなおよしと思うのが世の常ではないだろうか。何かおなかに入れたからといって問題がいきなりクリアになるわけではないとしても、またがんばろうという気持ちが充電される効果はあると思う。「コテン」のお客、そして和久自身も、さまざまなつらさや息苦しさを抱えて生きている。彼らを励ます4つの物語はさらに、読者の心をも温めてくれる。

 どの短編も胸を打つものだが(発売前に作られたプルーフによると、担当編集者さんのおすすめは第三話とのこと)、個人的には第二話の「楽描きカレーパン」にぐっときた。語り手の守田大和は、卒業間近の12月になってもいまだ就活を続けている大学4年生。うちにも現在就活中の息子がいるため、内定がもらえずどんどん心をすり減らしていく大和の様子に胸が塞がれる思いがする。どんなにがんばっても、それが内定に結びつくとは限らないのがつらいところだ。そしてそれは、なぜ自分のパンばかりが売れ残ってしまうのかと思い悩む和久の姿にも重なる。大和も和久も、はっきりした理由や目に見える違いがあるならまだあきらめもつくのに…と思わずにはいられないだろう。そのように気分が下がっているときに効くのは、やはり人、あるいは食べ物だ。おいしいものは、それを食べさせたいと思う人の気持ちとセットになっている。つらいときに誰かと言葉を交わすことで、あるいはただ一緒にいるだけで、人はどれほど救われることだろう。とはいえ、誰にも頼れずひとりで乗り越えなければならない局面というものも、人生には存在する。そんなときにとびきりおいしいドーナツやカレーパンが、何よりもその人を支えてくれることだってあるのだ。

 なかなかに濃いめのキャラクターが目白押しな中、とりわけイカしていたのは和久の祖父・喜八。すでに故人であるにもかかわらず、抜群の存在感で作品を引き締めている。和久はこれから喜八の味を、それ以上に心意気を受け継いでいくことになるだろう。ガキ大将だったせいかあだ名が「鬼八」だったという喜八のワイルドさというところまでは、受け継ぐのが難しそうだけれども(「鬼久」などと呼ばれたりしている姿は想像もできない)。

 『縁結びカツサンド』は、第1回おいしい文学賞にて最終候補(受賞作は白石睦月さんの『母さんは料理がへたすぎる』)となった作品。最近食を題材にした文学作品は盛況なようで、小川糸さんが人気作家となられたあたりから主流のひとつとなってきている気がする(うっかり混同しそうになってしまうのだが、日本おいしい小説大賞という文学賞も創設されている)。もしできることなら、弱っている人のところにはおいしいものを持って駆けつけたい。でも、現実にそんなことが可能なのはごく少数の友人知人に限られるし、昨今のコロナ禍においてはそれさえも難しい。であれば、しっかり食べて元気を出すことの大切さを、本を読んで思い出してもらえたらいいなと思う。あ、ここぞというときに助けになってくれるのは、本も同じですね。

(松井ゆかり)

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