近年、結末をはっきりとは描くことなく、オーディエンスがその物語を胸に抱き続けることで完成する映像作品が多く輩出されている。それは共通となるゴールが描かれる時代ではなく、多様な価値観を持つ社会となっていることを象徴するひとつの事象であり、また同時に、結末を与えられないことで各人が導き出した答えやアイデアが、現実社会でそれぞれがアクションを起こす時に呼び水となる機能を果たしているとも言える。結末のない映画が我々にもたらしてきたものはなにか。現実に拡張する、結末のない映画についての特集。第1弾は編集部による2編のレビューをお届けする。(→ in English ) VIDEO『少年は残酷な弓を射る』
母親の出産体験を描こうとチャレンジしては無残にも失敗する映画が絶えない。当たり前だが、出産は花、そして祝福と興奮のシャワーだけではないのだ。新しい人生を受け入れるには時間がかかる。『少年は残酷な弓を射る』は、息もできないような苦しい状態に陥りながらも、長く続く“母”の人生を描いている。
ティルダ・スウィントン演じるエヴァは、学校で虐殺を行った息子の行動を理解できずに苦悩する。
彼女は子供たちの面倒をみるためにキャリアを諦めた、それにもかかわらず息子であるケヴィン(エズラ・ミラー)とうまく絆を築けない。映画は過去と現在を行き来し、おそらくは息子への不満から端を発しているであろう幼少期の息子に対するエヴァの“不安定な態度”を垣間見せている。そのことによって、エヴァがケヴィンを悪魔のような人間に作り上げてしまったのか、それともケヴィン自身の中に邪悪なものがあったのかという疑問を引き起こす。
実生活では双子の母親であるティルダ・スウィントンは、エヴァを見事に演じきっている。自立しているが力のない母親ーーエヴァは不安を感じてはいるが、その人生に抗っているわけではない。むしろその人生は完全にケヴィンを中心に展開している。しかし息子への罪悪感、怒りという感情だけではなく、彼女は絶えずジレンマに陥っているように見える。その何かがねじれていることを暗示するかのようなヴィジュアルの作り方も巧みで、オブジェクトは実にシュールな構成で配置されている。さらに卓越したショットによって、エヴァという存在が間違った場所、間違った時間、間違った身体にいると感じていることが強調される。そして母親と瓜二つのケヴィンーー彼女は息子の中にいるけれど、彼に対する恐れを感じている。まるで自分の一部を恐れているように。
本作はまた、大衆の非難の矛先というものについても描いてみせている。このような場合、息子が犯した罪の責任は母であるエヴァに負わせられる。ケヴィンがこんな惨事を起こすようになる前に軌道修正ができただろうと。
しかしながら、この映画を特別なものにしているのは、観た者ががどう感じるべきかを決して教えてくれないところだ。あなたがどこにいるか、何者かであるか、どんな人生を歩んでいるか、どれだけエヴァの立場になって考えられるか、一人ひとりで見方は大きく異なる。その感じ方のどれがいい悪いということではない。私にとっては、社会に浸透している母の役割というもの、両親の責任というものの見方を改めて考え直す機会をくれた映画。
この作品を気に入った方には『Beanpole 』もお薦めしたい。
キャスト : ティルダ・スウィントン ジョン.C.ライリー エズラ・ミラー
監督:リン・ラムジー 音楽:ジョニー・グリーンウッド(レディオ・ヘッド) 原作:ライオネル・シュライバー(イースト・プレス刊)
2011年製作/112分/PG12/イギリス
原題:We Need to Talk About Kevin
配給:クロックワークス『マッドバウンド 哀しき友情』
2018年にアカデミー賞にノミネートされた『マッドバウンド 哀しき友情』は、1940年代にミシシッピ・デルタで生きるとはどういうことだったかを描いている。第二次世界大戦後にテクノロジー、地勢、社会に多くの変化があった後も、人種差別は依然として蔓延していた。本作には2つの家族が登場する。黒人のジャクソン家、もう一方は白人のマッカラン家だ。
映画を通じて、私たちはさまざまなレベルの不公平を目撃し、各キャラクターが行動することで引き起こされた結果について語りあうことになる。各国の権力の構図、貧しい人々の上で成り立っている特権階級、誰もが必死に生き残ろうと死に物狂いだったことーーー映画は事実ではないけれど、それらの時代に何が起こったかを写し取ったものとする視点は重要だ。
主人公の白人家族の周辺で一連の事件は起こるが、その多くは昔から変わらない差別意識によってもたらされたもの。
本作が他と異なる点は、白人と黒人の社会双方について語っている点。監督であるディー・リースは、人種差別について作品内で多くを議論することはせず、両家に光を当てることにより、特権的な立場にある人々がそうでない人々を助けるために力を尽くすことの重要性を示すことに成功している。ヴィジュアル面も素晴らしく、フィルムの色調は非常に素朴だが、黒人家族を襲う悲劇的なシーンはカラフルであるように挑発的な側面も備えている。
作品内の重要なキャラクターとして、黒人家族の長男として戦争に出て帰還したロンゼルの父親であるハップについても言及したい。ハップが足を骨折した際に家族は生活に困窮するが、彼の家を訪れる者たちに対するその恐怖と疑惑の目は、彼の人生がいかに困難に満ちたものであるかを雄弁に物語っている。それは彼が子どもたちのことを心から誇りに思い、妻と子どもたちがより良い生活を送れることをいかに切実に願っているかをより強く印象付ける助けにもなっている。対するマッカラン家の非人道的な父親。
本作で描かれる有色人種の人々への差別は、現在と同じものではないかもしれない。しかし、人種差別は形を変えながらも依然として存在し、自由を奪い、個の人生を奪っている。
過去のルールに縛られることなく、自らが意思を持ち、物事を決め、価値観を再形成していくことは本作の大きなテーマだ。
ディー・リース監督の『アリーケの詩(うた)/パライア』 もまた優れた作品なので、機会があればぜひ鑑賞してほしい。
『マッドバウンド 哀しき友情』
2017年制作 / 135分 / アメリカ
出演:キャリー・マリガン、ジェイソン・クラーク、メアリー・J・ブライジ
Netflixにて配信中https://www.netflix.com/jp/title/80175694
text Maya Lee