『千日の瑠璃』366日目——私は売り込みだ。(丸山健二小説連載)

 

私は売り込みだ。

野犬としての立場に不安を感じ、野良犬としての誇りを持てなくなって、飼い犬として余生を送ることに決めた牡犬の売り込みだ。だが、思惑通りにはゆかなかった。私はあちこちの家で失敗し、迷惑がられ、無情の雨を横切り、そしてとうとう丘の一軒家をめざして坂道を登って行った。犬は人間と共に生きるべきだ、と言い残して死んでいった、まだらの、純然たる日本犬の影に導かれて行く私は、棄てられた仔犬よりも哀れに違いない。

二階の部屋から青い鳥といっしょにまほろ町の一部始終を眺めている少年、彼を目敏く見つけた私は、まずは明るい調子の声で吠え、ついで控え目に尾を振った。申し分のない第一印象を与えたはずだった。少年は手を振ってくれた。しかし、それだけだった。たとえば私をもっとよく見ようと急いで外へ飛び出してきたり、たとえば頭を撫でながら残飯を食べさせてくれたり、たとえば飼ってくれると約束してくれたり……そんなことはなかった。とはいえ、まだましな扱いだった。いきなり水をぶつかけられたり、石を投げられたり、人間同士ではあまり使われない残酷な言葉を浴びせられたりするよりはよかった。私は諦めず、次の手を打った。番犬として役立つところを見せてやるために玄関先に坐りこんだ犬は、いつでも敵を追い払える体勢をとった。ところが、ここでも結局成功しなかったのだ。夜になって、私はかえらず橋の下で恥じた。
(10・1・日)

丸山健二×ガジェット通信

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