『千日の瑠璃』355日目——私は水泡だ。(丸山健二小説連載)
私は水泡だ。
うたかた湖の南西の一点、葦も水草も生えていない純白の砂の底から細々と立ち昇る、地味な水泡だ。私に似た現象は湖のいたるところにあって、それ自体はさして珍しいものではなく、いちいち大仰に述べ立てるようなことではない。私の粒がとりわけ大きかったり、色でもついていたりすれば、話は別だが。
だから、特に私に注意を払う者はいない。まほろ町に生じるどんなに些細な変化も見落とさない少年世一ですら、私を発見しても、私が只者ではないことまでは気がつかなかった。気づいてくれたのは、うつせみ山の禅寺の一番の新参者である若い修行僧だった。彼はきょう、物乞いの影に怯えながらの托鉢の帰りに、ふと私に眼をとめた。そして彼は、私が一定の調子を繰り返していることを見抜いた。つまり私が、人の呼吸と似たような間合いを保っていることに、たとえば座禅中の息遣いにごく近いということに気づいたのだ。
ただそれだけのことではあったが、しかし若い僧の背骨のあたりに電流にも似た何かがびりびりと走り、玄妙な道理が駆け抜けた。私につくづくと見入る彼は、今夜ふたたび決行しようと考えていた脱走の企てを取りやめ、ずっと先へ行ってしまった先輩たちのあとを追ってせかせか歩いた。事に当たってまだ泰然と構えられない彼の足音が遠のいても、私は、湖底にきちんと立っている観音像の口と、さざ波ひとつない静かな湖面とを規則正しく結んでいた。
(9・20・水)
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