『千日の瑠璃』310日目——私は花火だ。(丸山健二小説連載)
私は花火だ。
うたかた湖の夏の一夜を彩り、まほろ町に生きる人々の諦観の境地を吹き飛ばす、花火だ。打ち上げ代込みで数千万円分の私は、まずは物事の理非を押しのけ、さまざまな種類の過失を不問に付し、面白くも何ともない正論を叩きつけてくる者に逆ねじを食わせ、生真面目に心願を立てる者を小馬鹿にし、人生を旅に準えたがる者の胸のうちを荒々しくかき乱し、軽妙酒脱を気取って腕曲な言い回しを好む者を芋扱いしてやる。
そして私は、世間体ばかり気にして忍び音で話す男女の背中を思い切りどやしつけてやる。するとその男は、溶接作業の際に飛び散る火花を想い浮かべながら、熱意溢れる言葉で、正面にいる女をかき口説き、最後の駄目押しをする。艶やかな立ち姿とまではゆかなくても、私が放つ光のせいでけっこう見られるその女は、おろし立ての浴衣の着崩れを直すのをやめ、淫欲の虜となるべく自ら体を男に委ねる。淫らな振る舞いにボー卜が揺れる。
私はふたりの初めての契りを成功させようと、葦の茂みを照らしてボートを人気のない方へ誘う。私は言ってやる。「ほかにすることなんかあるものか」と。私は男のために女の悦びの表情を闇に浮かびあがらせ、性器の位置を示す。女のほうには、生涯忘れ得ぬ一夜を、三十年のあいだ待った一夜を、彼女が読破したどの恋愛小説よりも数倍美化してやる。私の作裂音に合せて、「あっ、あっ、あっ」。
(8・6・日)
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