『千日の瑠璃』299日目——私は期待だ。(丸山健二小説連載)

 

私は期待だ。

つづいて起きる可能性が極めて濃厚な惨劇への、まほろ町の人々の強い期待だ。かれらは一様に渋面を作りながらも、内心わくわくして切った張ったの成り行きを見守っている。これは恰好の憂さ晴らしになるかもしれない、と私は思う。町はふたたび黒い服の男たちやかれらが乗り回す外国製の高級乗用車やアナクロニズムで溢れ、《三光鳥》は大いに賑わい、動員された完全武装の警官があちこちの角に立って権力の不様な汗にまみれている。

そして私は狂喜する噂といっしょに限界まで膨らみ、住民の仕事への意欲を奪っている。生徒たちが悪に染まらぬよう戒心しなくてはならない、とそう教師に訓示したばかりの高校の校長にしても、私の誘惑には勝てず、教育の敵に回る輩を二階から見おろしている。また、警察と力を合せて巡回する役場の職員は、頭の彫り物を見せるために髪を剃りあげている男を見て抑え難い血の騒ぎを覚え、同時に世間の表側に身を置いていることのくだらなさを思い知り、自分の頭から髪をむしり取りたい衝動に幾度も駆られる。

老人ホームをこっそり抜け出して、非合法の手段に訴える連中を見物にきたふたりなどは、今や完全に私の虜になっている。年と共に頑愚になりつつあるかれらは、長生きしていてよかったとしみじみ言う。前身は旅回りの役者だったと自慢する片方の老人は、「この夏は楽しめそうだな」と若やいだ声で言う。
(7・26・水)

丸山健二×ガジェット通信

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