『千日の瑠璃』187日目——私は説得だ。(丸山健二小説連載)
私は説得だ。
町長に命じられて、世一の父が湖畔の宿《三光鳥》の女将に対して懸命に試みる、説得だ。警察の仕事ではないのか、と世一の父は言った。すると町長は、「それでは角が立ってしまうだろうが」と言い、あとは言葉を濁し、肩をぽんと叩いた。しかし、前科者の弟を持つ役場の職員がどう粘ってみても、女将は頑として聞き入れなかった。私を受け入れようとしないばかりか、しまいには血相を変えて食ってかかるありさまだった。
女将の言い分は、ざっとこんなだった。まほろ町が《三光鳥》の借金を肩代りしてくれるというのなら、たとえ全国中の悪党が押し掛けようと追い払ってみせる。それが無理だというのなら、たとえまほろ町に仇をなす者であっても泊めないわけにはゆかない。「わたしだって生きてゆかなくっちゃねえ」と彼女は言った。鬘をつけた男は「よくわかります」と言いながらも、まだ諦めなかった。
私は、郷土の評判を落とすことになるという町長の嘆きをそのまま伝え、身の安全は責任を持って保障するという警察署長の言葉を反復した。そして、まだ出世に未練がある男は、畳に額をすりつけて平伏した。けれども、何をしたところで無駄だった。女将は冷ややかに私を撥ねつけてから底を割って話すしかないと思い、「実はもうこれを頂戴しているんですよ」と言って、手提げ金庫のなかから真新しい現金の束を取り出してみせた。
(4・5・水)
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