「政府の原発削減目標はどれも非現実的」 政策分析研究者、澤昭裕さん<「どうする?原発」インタビュー第15回>

政策分析研究者、澤昭裕さん

 「事業者や行政機構は、政治家の思いつきや感情で決定をされては困るのです」――澤昭裕さんは、強い調子でそう語る。通商産業省(現・経済産業省)では、エネルギーの政策担当者を務めた。その後は、東京大学先端科学技術センター教授を経て、現在は、21世紀政策研究所研究主幹を務めている。その経験から、澤さんは3.11を経ても尚、エネルギー政策における原発の重要性を強く主張する。それは、一体なぜなのか?

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■ 「従来のエネルギー政策の合理性は変わっていない」

 3.11の直後から、原発は安全なのか、それとも危険なのかをめぐって、議論が続いている。今もエネルギー政策といえば、原発の安全性や健康に与える影響についての議論ばかりに偏りがちだ。では、政策決定に関わる行政府においてはどうなのか。

「現在、行政府で行われている議論を大きく言えば、福島第一原発の事故以降、民主党政権が原発反対運動などに過敏に反応しているのが実態です。浜岡原発の停止やストレステストなど、これまで法的な根拠がない措置によって、原子力をめぐる問題が処理されてきました。
 しかし、事業者や行政機構は政治家の思いつきや感情で決定をされては困るのです。エネルギーミックスの問題を話し合う場では、中長期的な視点にたって冷静な議論をするべきなのですが……現在は、概して言えば、現実派と理想派がお互いにしばしば感情的になって、言い争っている状況ですね。それは民主党政権内でも同様です」

 そもそも日本に原発が導入された経緯は、安定したエネルギー資源を日本人が求めたからだ。澤さんは、オイルショックを事例にあげて、「かつて石油に全てを頼っていた時期に、石油がなくなって大変なことになった」と指摘する。その反省を踏まえて、日本は複数のエネルギー資源を、金融資産のポートフォリオのようにして組み合わせる「エネルギーミックス」戦略をとってきた。それが、福島の事故後、見直しを余儀なくされている。

「3.11の直前は、ちょうど電源の比率ではバランスのとれた構成になっていたのですが、福島の事故によって原発が停止し、一気にバランスが崩れています。しかし、国内にほとんど化石燃料資源がないなど、日本のエネルギー・資源をめぐる周囲の状況に変化はありません。従来のエネルギー政策の合理性を見失ってはいけません」

 澤さんは、エネルギー・資源を持たない日本にとって、エネルギーの問題は「宿命」であるという。その宿命を考えた際に、原発というカードを捨てることはできないというのが”現実派”としての彼の立場だ。

「日本のような資源がない国では、原発というカードを捨ててしまうと、燃料調達の国際交渉時にも、足下を見られてしまいます。他国の状況に運命を左右されてしまうのです」

■ 「実はもう原発は稼働していないに等しいのです」

 しかし、政府の施策は、すでに脱原発の方向へと舵を切っている。原発ゼロを掲げる政治家も少なくない。そんな中、政府が発表したのが、2030年までにエネルギーミックスの中で原発の比率を削減していく目標だ。具体的には、原発をそれぞれ、0%、15%、25%へと削減していくシナリオが示されていた。だが、澤さんはその3つのシナリオ全てが非現実的であったと斬り捨てる。

「まず非現実的なのは、このシナリオの全てで、太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー比率が、非現実的なまでに高く設定されていることです。2年前に立てたエネルギー計画では、鳩山元首相の温室効果ガス25%削減構想という実現困難な目標を達成するために、再生可能エネルギーの比率をむりやり蹴り上げて多めに見積もり、発電電力量シェア20%という数値を出しました。
 その時にさえ、その数値は非現実的だという批判があちこちからなされ、海外からも達成について疑問の声がありました。それから何も状況が変わっていないのに、今回ほとんどの選択肢で30%を超えているのです」

 澤さんによれば、再生可能エネルギーをここまで大幅に導入を進めるには、越えなければならない問題として、価格と立地の問題があるという。例えば、このシナリオでは、主に風力発電を中心とした施策を想定している。しかし、陸上の風力発電は低周波公害の問題があちこちで持ち上がっているため、海上しか選択肢がないと考えられている。その際、問題になるのが、「漁業権」である。海に風車を建てることは、そこで漁業ができなくなることも意味するのだ。その交渉はとても厳しい。

 では、各家庭に取り付ける、太陽光発電であればどうか。これについては、火力発電所や原子力発電所などの発電施設と違って、設置が各家庭の自由に任されている。計画として見積もるのが難しく、計画値は政府の「願望」にしか過ぎない。また、固定価格買取制度にも大きな問題があるとみている。この制度には技術革新を促進するインセンティブはなく、また積み重なる賦課金が負担を増してくると澤さんは考える。

 一方、20年後のような長期だけでなく、短期的にどうエネルギー資源を得ていくかも、悩ましい。澤さんは、そもそも多くの人が「現在、実質的に原発ゼロの状態になっている」ことに気づいていないと、強調する。すでに大飯原発3号機、4号機しか稼働していない状況は、「原発ゼロがすでに達成されている」も同じというわけだ。

「みんな、原発が30%あるイメージで、そこからどう減らすかを話しています。しかし、実はもう原発は稼働していないに等しいのです。緊急の問題としてその供給不足や経済的影響に対処せねばならないのに、どうすればいいか考えている人がほとんどいません」

 澤さん自身は、「石油や液化天然ガス(LNG)で埋めていかざるを得ない」と語る。だが、今年の夏のデータからは、大飯原発を稼働させる必要はなかったことが示されたという人もいる。それについては、どう思うのか。

「ええ、そう言う方は沢山います。これからどんどん出てくるでしょう。しかし、その方々は電気料金の値上げを同時に受け入れるでしょうか? エネルギーの問題を考えるときに、量の問題だけを考えてはいけません。先程も言いましたように、コストの問題も重要です。石油やLNGを使うと、原子力の2倍以上のコストが掛かります。再エネなら5倍以上でしょう。これは電気料金の価格に反映されていかざるを得ません。経済全体への影響で言えば、3〜4兆円程度の貿易収支の赤字が出て、その分GDPは落ち込みます」

■ 「原発をゼロにすると、各家庭の電気代は現在の倍になります」

 澤さんは、原発の問題を考えるときに、「3つのE」――「安定したエネルギー供給(Energy Security)」、「環境問題への対応(Environment)」、そして「安いエネルギーを提供(Economy)」の視点を忘れてはいけないという。澤さんによれば、原発の稼働をゼロにした場合、電気料金の価格が大きく上昇するという。

「火力発電での価格上昇に加えて、再生可能エネルギーでの価格上昇があります。しかも、CO2削減の目標もあります。それらの影響を最終的に足し上げていくと、各家庭の電気代は、いまの2倍以上になると政府は試算しています」

 原発をゼロにして、しばらくは火力発電でしのいで、徐々に再生可能エネルギーに移行していく。そうしたシナリオはしばしば語られるが、本当に多くの人がそんな生活に耐えられるのか、澤さんは疑っている。また、多くの人は再生可能エネルギー政策で言われる、様々な問題点を認識していないとも指摘する。特に問題だと考えているのは、固定価格買取制度だ。

「再生可能エネルギーは、普及が進むに連れて、徐々に価格が下がっていくと言われています。もちろん下がるのですが、多くの人が誤解している点があります。それが、現在ヨーロッパで主流になっており、日本でも「再生可能エネルギー法案」で定められた、「固定価格買取制度」のからくりです。説明しましょう。
 例えば、太陽光発電事業者が作った電力を、電力会社が買い取ることになっています。しかし、その購入費用は、電力会社は電力ユーザーに転嫁できることになっています。私たちの電気料金にそのまま反映されるのです。これはおかしいことではありません。最終的にエネルギーを選択するのは電力会社ではなく、我々ユーザーだからです。
 その際、買取価格はどんどん下がっていくと、この制度推進派の人は言います。例えば、最初に42円/kwhでも、次に参入した人は40円/kWhかもしれません。その次の人は38円/kWhかもしれません。しかし、ここで重要なのは、最初に参入した事業者の価格は42円/kwh のままで20年間売り続けられることになっているのです。また、さらに次の期に参入する発電事業者も、同様に、その参入時の値段が下がることなく20年間売り続けることができる。それらが全部、電気料金に加算されるのです」

 つまり、太陽光発電の発電量が増えるたびに、価格は電気料金に累積されていくわけだ。実際、ドイツではこの制度を導入したものの、気づいてみれば10年間の累積で1200円も上昇してしまい、制度の大幅な見直しをすることとなった。具体的には、買取価格は大幅に下げ、全量買い取ることはやめていくことになった。最終的には、制度自体を廃止することになっている。

「多くの人はこのことを知らないでしょう。ちなみに、この制度は競争入札になっていませんから、ユーザーには選択の余地がありません」

 ちなみに、再生可能エネルギーの比率を上げるのが厳しいのであれば、節電をするのはどうかという話になるが、澤さんはこれにも厳しい。

「節電も、平均で家庭でマイナス10%程度を見込んでいますが、一人がさぼれば、もう一人は20%の節電を強いられます。ダイエットにもリバウンドがあるように、節電も今後エネルギーへの危機感が薄れてきた際には、またもとに戻ることは十分考えられます。これまでの日本の歴史でも同じでした。あれだけオイルショックのときに省エネが国民運動になったのに、バブル時代からはむしろ、家庭での電気使用量は4割近く増えてしまっています。精神論だけでは節電・省エネは進みません。制度上の工夫が必要でしょう」

 今後の日本のエネルギー政策について、澤さんは「エネルギー政策は選挙モードに巻き込まれてしまったが、原子力に関しては、政権が変わったとしても稼働を縮小していく方向になる」と見ているようだ。

 しかし、原発の縮小は、単に電気料金の上昇だけにとどまらない、様々な経済への影響を及ぼす。

「原子力を止めて火力発電で埋めるとすると、試算では中規模の工場であれば、75万円ほど電気料金が上昇しますから、一つの工場につき労働者3、4人分の人件費に当たります。では、その人たちはすぐに解雇しろとでもいうのでしょうか」

「RITE(地球環境産業技術研究機構:地球環境、特に気候変動問題への対策技術の基礎的研究を行う研究機関)が試算したデータを元に説明します。原発を止めなかった場合に想定される経済成長から、どのくらい成長が低下するかを試算したデータによれば、具体的には、20年間で本来成長する分に比べて、45兆円マイナスとなります。GDPで言えば、10%くらい下がるインパクトです。このように下がる理由は、一つには電気料金上昇によって消費が落ち、燃料の輸入が増えることが原因です。生産活動も、日本ではなく海外で行われるといういわゆる空洞化の問題が深刻化することが懸念されます」

 また、計画停電によって予定が立てにくくなるなどの小さなことが積み重なり、社会全体として活動レベルが下がっていく。

「他国のように停電に慣れたらいいじゃないかという人もいますが、私は日本人の潔癖な性格からして難しいのではないかと思いますね。マジョリティはこれまでの生活を維持したいと思っていると思います」

■ 「”これさえあればOK”という議論をする人には注意してください」

 インタビューの終盤、澤さんに「エネルギー政策の議論を見る際に、気をつけた方がよい点はありますか?」と聞いてみた。

「”これさえあればOK”という議論をする人には注意してください。一つの技術や一つのエネルギー源でうまくいくと思う人は、全体を見ることをしていない人です」

 エネルギーは、いつどのエネルギーの調達が難しくなっても大丈夫なように、複数の資源の組み合わせで考えていくものだと、澤さんは言う。なぜなら、エネルギーは、常に安定して、安く提供されていなければならないからだ。

「エネルギーは、水に似ています。普段あり余っているときには気にしませんが、足りなくなって初めて、こんな大事なものだったのかと気づくのです。普段はダムなんているのかと言う人も、実際に渇水になれば水道会社に文句を言います。
 3.11以降、ヒステリックな状態が続いていますが、インフラの問題は感情的に議論すべきものではありません。だから、現実的な立場で意見しつづけていく人間は必要だろうと、私は考えています」

■ 澤昭裕
政策分析研究者。米プリンストン大学行政学修士。経済産業省課長、東京大学先端科学技術研究センター教授等を経て、現在は21世紀政策研究所研究主幹を務める。著書に『精神論ぬきの電力入門』などがある。

◇関連サイト
・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

(中西洋介)

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