言論の自由は幼児の犠牲よりも重い
児童ポルノと表現の自由をてんびんにかけてみる――納得する反面、少し怖くなりました。今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
言論の自由は幼児の犠牲よりも重い
幼児ポルノサイトへのプロバイダレベルの遮断が自民党と公明党で検討されているらしい。この方法はイギリスやスウェーデンでも導入されているといいわけがましく書いている。
ではなぜいつも見本にするアメリカを引き合いに出さないのか。それはアメリカで違憲判決が出ているからだ。
ITmediaニュース:ポルノサイト遮断義務付けの州法に違憲判決
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0409/11/news010.html
我々は人の命やいたいけな子供の安全を何より重要だと思いがちだ。しかしそうではないのだ。人間にとって人の命や安全よりも大事なものが沢山ある。民主主義やそれを支える言論の自由はその最たるものだろう。
これを手に入れるためにフランス革命以来多くの血が流されてきた。我々が今、空気のようにあって当たり前と感じている自由は、過去の多くの人々が命と引き替えに勝ち取ったものだ。
それを我々がいくら自分やその子供の安全のためだとはいえ、易々と放棄していいだろうか。それで過去の人々に顔向けできるのだろうか。子供の安全を軽視しているのではない。言論の自由はそれほどまでに重いといっている。
放送局も出版社も新聞社さえも日ごろからネットの跳梁(ちょうりょう)を苦々しく思っていたのだろう。ネットの言論の自由に関するこれほど重大な問題(少なくともアメリカでは憲法に抵触するレベルの問題)を黙殺している。
ネットの自由の大切さを訴えるのはネットを日々の活動の場としている我々しかいないのかもしれない。新聞やテレビが黙殺し続けるのならその重大さを社会に、ネットの外の人々に、訴えていかなければならないと思う。チベット問題ではネットの有志がデモを行ったと聞く。他民族の自由のために傾けたエネルギーを自分たちのためにも注いでほしい。
執筆: この記事はメカAG さんのブログより寄稿いただきました
文責:ガジェット通信
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