『千日の瑠璃』146日目——私は電話ボックスだ。(丸山健二小説連載)

 

私は電話ボックスだ。

人通りの少ない場所にあっても、型が少々古臭くても、まほろ町では最も利用率の高い電話ボックスだ。きょう、あの少年世一が地吹雪に往生して、一時私のところへ避難してきた。私は世一を庇ってやり、世一は私のために口笛でオオルリのさえずりを真似てくれた。そのあと、妻子ある男がやってきて、やはり家庭を持っている女を呼び出そうとした。だが、先方は留守らしく、とうとう誰も電話口に出なかった。ついで、いかれた女子高生が私のなかでけばけばしい服に着替えた。下着まで全部。それから、ぼけても盗癖の直らない老人が、私を便所と間違えそうになった。

うたかた湖の白鳥が眠りに就く頃、一見まともそうな若者が現われた。あまり見掛けない顔だった。彼は受話器を握ったまましばらく考えこんでいたが、やがて急にうずくまってしまい、かなり長いこと深いため息を洩らしていた。およそ一時間余りそうしてから、ようやく彼は遠方の誰かを呼び出した。彼は胸のところにつけている青い鳥のバッジをいじりながら、愚痴をこぼした。堪らなく寂しいと言い、こんな片田舎で一生を終えるわけにはゆかないと言った。気心の知れた相手は、せわしないものの言い方で励ましの言葉を送りつづけ、惚れた女のために頑張れと言った。しかし、何の効果もなかった。小銭が尽きると彼は、膝を抱えて私の底にしゃがみこみ、いつまでも出て行こうとしなかった。
(2・23・木)

丸山健二×ガジェット通信

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