『千日の瑠璃』145日目——私は石仏だ。(丸山健二小説連載)
私は石仏だ。
ずっとむかしから野道にあって、風や雨や光のために、今ではほとんど原型をとどめていない石仏だ。私の姿はたしかに人に似ているが、しかし何かのけものにも近い。いずれにしてもここまで崩れてしまうと、もはやただの石に過ぎず、値打ちもぐっと下がってしまっている。御利生とやらに期待し、最後の望みを託そうと私を訪ね、花や小銭を供える者がいたのは、もう十数年も前のことだ。
かつて、年寄りから噂を聴いてせっせと通い詰め、わが子の健やかな成長を願って、何千回、何万回と私に掌を合せたことのある女が、向うからやってくる。結局私は彼女のために何ひとつしてやれなかった。己れの風化すらとめられない私に、専門医でさえ手の施しようのない奇病などどうにかできるわけがないのだ。女は私を見ないようにして通り過ぎて行く。彼女の濃い影が私の上に落ち、すぐにまた私は日に照らされる。
そして女は、だいぶ遠くへ行ってから少々やけ気味のくしゃみをひとつする。それが原因かどうかはわからないが、彼女のくしゃみがうつせみ山にこだましてうたかた湖に跳ね返されたとき、ぴしっという厭な感じの音が走ったかと思うと、私は真っぷたつに割れて右と左にゆっくりと分かれ、片方は雪に、もう片方は泥にまみれる。托鉢の帰りの修行僧たちが、次々に私を踏みつけて行く。女の姿は失せている。私はもう道の一部だ。
(2・22・水)
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