『千日の瑠璃』122日目——私は口紅だ。(丸山健二小説連載)

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私は口紅だ。

シクラメンの花の色にもよく似合い、彼女の立場にもぴったりと合っている、不確定な要素を含む口紅だ。湖畔の宿《三光鳥》で年末年始をずっとくすぶっていた彼女は、きょう、まだ少しも形が崩れていない唇に私を塗りつけた。私は鏡のなかの彼女に言ってやった。閉じこもってばかりいないで、たまには外へ出てみたら、と。

彼女はまほろ町の程度というものをつかむまで、あちこち歩き回った。そして寒風に吹かれて唇が乾くと、ふたたび私を取り出した。電柱に寄り掛かり、まったく人目を気にしないでコンパクトを覗きこんだ。私は、ぽってりとしてはいても品を失わない唇の隅から隅までを、それはもう念入りになぞった。私のせいか、私を扱う彼女の優雅な仕種のせいか、彼女の艶やかな姿態のせいか、そこでの彼女は急に目立つ存在となった。山国の田舎町の人々の視線が、一斉によそ者の彼女に集まった。けれどもそれは、異分子を駆逐する眼ざしではなかった。

皆はいっぺんで彼女をただ者ではないと見抜いた。そして、ただ者とは思えぬ少年を連れていた母親などは、眩い相手をもっと詳しく観察するために、わざわざ足をとめた。あまり幸福とはいえないその母親は、私が発する色のなかに求めて求められなかったすべてがこめられていることに気づき、我を忘れて、いつまでも見とれていた。娼婦のほうはというと、病気の少年の青に魅せられていた。
(1・30・月)

丸山健二×ガジェット通信

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