『千日の瑠璃』106日目——私は借金だ。(丸山健二小説連載)

 

私は借金だ。

湖畔の宿《三光鳥》の女将をもう長いこと脅威に晒している、多額の借金だ。これまで私は再三忠告した。もっと楽に生きてはどうか、と。土地ごと手放してしまえば急転直下解決に向うではないか、と。その都度、女将は迷った。迷った挙句にいつも、私など物の数ではないという強気な姿勢に転じるのだった。どういうわけか知らないが、身も心も風に愚弄されているようなあの少年が遊びにやってくるたびに、彼女の腹は固まり、そのうちどうにかなるだろうという方向へ傾いた。

しかし、結局どうにもならなかった。待っても待っても《三光鳥》に泊まりたがる旅人は現われなかった。ほかの二軒の商人宿と国民宿舎が満室の日でも訪れなかった。そしてきょう、三人の男がやってきた。だが、客ではなかった。まほろ町における新参者、これ見よがしに白塗りの高級車を乗り回す、あの鼻つまみ者たちだった。かれらは私の取り立てを正式に依頼されたことを告げたものの、それ以上は迫らなかった。長身の青年を残して、ふたりはすぐに引きあげた。その青年も私についてはひと言も触れず、客をひとり紹介するから当分のあいだ泊めてくれないかと言い、札束をひとつ置いて帰って行った。

夕方になって《三光鳥》に送りこまれてきたのは、女だった。シクラメンをひと鉢抱えただけの客は、「よろしくね」と言ってぺこりと頭を下げた。女将は私を鼻で嗤った。
(1・14・土)

丸山健二×ガジェット通信

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