『千日の瑠璃』81日目——私は野望だ。(丸山健二小説連載)

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私は野望だ。

かつてまほろ町には存在したためしがないほど強いものでも、当人には日常茶飯事でしかない、野望だ。私が確固たる生き甲斐を与え、数々の幸運をもたらしてやった老人は、うたかた湖の近くへ差し掛かると、電話付き、運転手付きのクルマのなかで、こう叫んだ。「見ろ、なかなかいい形の丘じゃないか!」と言い、「ミニ富士だ!」と言った。それから彼は、湖岸のなだらかな山々はゴルフ場に最適だ、と言い、まだ手をつけられていない土地なら、一帯を全部押さえておけ、と事もなげに命じた。抜け目のない秘書は顔色ひとつ変えないで、直ちに必要な手を打つと言った。

かれらはクルマを松林に乗り入れて、人の世の色に染まった湖面と、その上に点々と浮かぶ純白の水鳥をしばし眺めた。凡人とそう変らない風貌の、だがこれまで一度も他人の意見を参酌したことがなく、累卵の危機を何回も切り抜けてきた老人は、こう咳いた。「いい土地はまだまだあるもんだなあ」と。その間に私は、さながら積乱雲の如く盛り上がり、成業の自信を深め、年が明けると八十歳になる男の寿命を更に引き延ばした。そのとき、ひしひしと身に染みる寒気をかき分けるようにして、奇妙な少年が現われた。すると、なぜか私は萎みかけた。けれども、財界の大立者に手招きされた少年が、秘書の手から一万円の新札を受け取ると同時に、ふたたび私は際限なく膨らんでいった。老人は大笑し、秘書は苦笑し、少年は冷笑した。
(12・20・火)

丸山健二×ガジェット通信

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