えらい人の前で「こいつ本当は中国人」と言われる〜安田純平の戦場サバイバル
フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話をやわらかく伝える連載です。
えらい人の前で「こいつ本当は中国人」と言われる
「お前、ムハバラート(秘密警察)なんだろ?」
「そりゃお前だろ」
「いやお前だ」
「いいやお前だ」
こうした言い合いをする「アンタ・ムハバラート(お前は秘密警察だ)ごっこ」が、シリア中部ラスタンの反政府武装組織・自由シリア軍メンバーとの間で流行った。親しくなった1人と毎日やりあっているうちに、ほかのメンバーとも挨拶代わりに言い合うようになった。
「こいつ本当は中国人なんだぜ」
「なんで知ってるんだ。お前ムハバラートだろ」
「お前がムハバラートだ」
「いいやお前だ」
というバージョンもある。シリア第三の都市ホムスを含むホムス県の自由シリア軍を統括する軍事評議会の代表で、自由シリア軍全体の報道担当でもあるカーシム・サアディッディン元大佐の前でまでやられたときは、さすがに冷や汗をかいて日本のパスポートを出して「本当に違いますんで」と弁解してしまった。
ムハバラートとは、市民生活に紛れ込み、密告者をつくって人々の言動を監視し、反政府的と判断した人間を拘束する治安組織だ。反政府側にとっては不倶戴天の敵である。シリア人にとってはあまりにもブラックで、親しくなった相手としかできない危険なジョークだ。
大統領の名前を呼び捨てにしたり、物価が高い、学校教育の内容がよくない、といった程度の批判を口にしたりするだけでもムハバラートに知られ、連れ去られたまま戻ってこない人もいると、多くのシリア人から聞かされた。反政府運動が広がった昨年3月の前まで「平穏」が保たれていたのは、隣の人間が実はムハバラートかもしれないという恐怖があったからこそである。
シリアに密入国した6月下旬、私は反政府武装組織・ファールーク旅団に同行し、国内の最激戦地だったホムス市内に入るはずだったが、政府軍の目を盗んで潜入する直前になって拒絶された。「ジャーナリストのふりをしたムハバラートだ」と言い出す男がいたからだ。後に、その男のことを「あいつは自分で撮影してテレビに売りつけて金と名声を得ようとしているだけだ」と評する人もいて、どこまで本気で疑っていたのかは疑問だが、こうした疑いをかけられた時点でその取材は厳しいと思ったほうがよいだろう。
ファールーク旅団を自由シリア軍の構成組織とみる人もいるが、彼ら自身がそれを否定している。
自由シリア軍とは、政府軍を離反したリヤド・アル・アスアド元大佐を最高司令官とする組織で、各県に軍事評議会を設けて都市ごとに活動している部隊を統括している。全国の反政府武装組織の8割が傘下にあるとされているが、自由シリア軍よりも前から活動していると主張する同旅団は加わることを拒否している。初期から活動している同旅団はそれなりの人気があり、本拠地のホムス県南部以外にも各都市に1部隊程度は存在するようだ。
現地では、政府軍に対する反政府軍という一般名詞的に「自由軍」という言い方もされており、ファールーク旅団のメンバーも自らを「自由軍」と言うこともある。しかしこれは上記の固有名詞としての「自由シリア軍」とは意味が違うので気をつける必要がある。
自由シリア軍とファールーク旅団は対立しているわけではないが、都市によっては関係が良くない場合もある。ラスタンの場合、交通の要衝にあるために自動車の輸入や運輸関係の業者が多く、豊富な資金が送られてきており、これを狙って手柄争いが発生している。ちなみにラスタンには反政府武装組織が25部隊あるが、24部隊は自由シリア軍で、同旅団は1部隊だけだ。
「アンタ・ムハバラートごっこ」は、同旅団に「ムハバラートだ」と言われて拒否された話を自由シリア軍にしたところ、爆笑されたことから始まった遊びだ。日本人には何がおもしろいのかさっぱり分からないだろうが、ムハバラートに対する恐怖と憎悪、反政府運動が広がったからこそ口に出せるという解放感、反政府武装組織の間にある軋轢が背景となった、今のシリアを象徴するジョークなのである。
【写真説明】
(1枚目)ファールーク旅団が設けている、最激戦地ホムスに潜入する前の最後の拠点。といってもただの農作業小屋に武器を持ってたむろしているだけ=2012年6月27日
(2枚目)ラスタンの自由シリア軍と記念撮影。真ん中のヒゲ面はファールーク旅団だが、この自由シリア軍部隊のメンバーとはもともと近所同士なので個人とは仲がよい=2012年7月7日
安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei
1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
ウェブサイト: http://jumpei.net/
TwitterID: YASUDAjumpei
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