日本人の「語学力」はもっと高く評価されるべき
今回はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
日本人の「語学力」はもっと高く評価されるべき
とある筋から「英語が使える日本人」の育成のための行動計画という政府文書の存在を知った。文科省が平成15年に作成した資料で、内容は「英語を喋ることさえできれば国際的に活躍できる!」という牧歌的なもの。教育業界ではかなり有名な文書らしいが、なぜ国際的に活躍しなければならないのか、そしてなぜ「英語」でなければいけないのか……という考察が浅い。
一般的に、日本人は語学に弱いと言われている。日本人は外国語が苦手だという意見を、耳にタコができるほど聞いた。しかし、そんなことはない。むしろ日本人ほど語学面で恵まれている人々はいない。21世紀という時代にあって、日本人の「語学力」は飛びぬけた優位性を持っている。
少なくとも私は「言語」という点で、日本に生まれてよかったと思っている。
その理由は3つある。
1.日本語が使える
友人はApple社に提出する履歴書の「Skills」の欄に「Native Japanese Speaker」と書いた。日本語を使えることは、世界的には「技能」なのだ。日本国内にいると気づきにくいが、日本語を理解し、読み書きできる人材は世界的に貴重なのだ。
日本経済の凋落が叫ばれて久しい。しかし日本のGDPは世界第3位で、1億2000万人を超える“日本語圏”の消費者がいる。日本が衰退しつつあるのは事実だが、衰退しきっているわけではない。日本の没落はあくまでもゆっくりとしたもので、いまだに日本語圏は魅力的な市場なのだ。
たとえばバングラディシュは1億4000万人の人口を抱えており、日本人口に近い。が、あなたが企業の経営者だとしてベンガル語圏と日本語圏のどちらで商売をしたいだろう。今後20年ほどは間違いなく日本人を相手に商売をしようとするはずだ。これは極端な例だとしても、2011年の名目GDPは日本が5兆8,694億米ドルなのに対して、第4位のドイツは3兆5,770億米ドル、ほんの6割だ。ドイツ語話者は1億数千万人、日本語話者とほぼ同じである。では日本語とドイツ語、どちらを身につけていたほうが“トク”だろう。
地球は狭くなった。
たとえば松江市の小学生と、バークレーの大学生、ヨハネスブルグのビジネスマンが、同じオンラインゲームで一緒に遊んでいる。たとえばマン島の少女が書いたストーリーを台北のイラストレーターがマンガにして、練馬区の高校生が編集して、同人誌として東京ビッグサイトで売っている。そんな光景が当たり前になった。成田から一晩で世界中どこにでも行ける。もはや世界は一つだ。私たちは“地球人”としての自覚を持つべきだ。
21世紀の小さな世界で日本語を母語にできたのは、幸運以外の何ものでもない。日本で働きたいと渇望している人は(先進国・後進国を問わず)数えきれないほどたくさんいる。しかし、彼らの前に“日本語”が巨大な壁として立ちはだかる。英語圏の人々が日本語を習得するには信じられないほど長い時間がかかる。中国語圏でもアラビア語圏でも同じだ。どうやら日本語は「難しい言語」のようだ。あなたは、世界中のほとんどの人が望んでも手に入れられないものを持っている。日本という国で生きる権利だ。日本で働くチャンスだ。そして、日本語だ。
日本語もろくに使いこなせない人が「英語を学びたい」と言うのは噴飯ものだ。日本語を母語にできた幸運に感謝しながら、まずは「国語」をきちんと学ぶべきだろう。
2.英語学習の環境が整っている
ためしに「英会話教室」でGoogle検索してみよう。じつに846万件のヒットがある。(2012年7月30日現在)未就学児向けの英語塾もあれば、社会人向けの教室もある。なにより日本では義務教育に英語が組み込まれている。日没後、近所のHUBに行けばたくさんの外国人が――ネイティブにせよ非ネイティブにせよ、意志疎通に英語を使う人々が――話し相手を求めて集まっている。国際交流サークルやボランティア、あるいは語学留学の窓口……日本には英語学習の機会がこんなにたくさんあるのだ。あなたが英語を使えないのは学校教育が悪いのではない。学習機会を見逃しているだけだ。
日本の英語教育には長い歴史がある。1600年、オランダ商船リーフデ号が豊後国(現在の大分県)に漂着、この船に乗っていた英国海軍出身の水先案内人ウィリアム・アダムスは江戸幕府の外交官として活躍した。日本と「英語」の歴史はここから始まった。徳川家康の信頼を得たアダムスだったが、家康没後は不遇の晩年を送る。鎖国体制が敷かれたからだ。
日本が本格的に英語の重要性を意識するのは1808年、フェートン号事件からだ。オランダ商船を装った英国船が長崎に入港したのだ。当時、欧州ではオランダの国力が衰退していた一方、イギリスは覇権国家としての地位を揺るぎないものにしていた。翌年より幕府は蘭学通史たちに英語学習を命じ、1811年には日本で最初の英単語集・会話集『諳厄利亜興学小筌』が作成された。そして1814年には日本初の英和辞典『諳厄利亜語林大成』が編纂される。1856年には幕府の洋学所を「蛮書調所(※東京大学の前身機関の一つ)」と改め、1860年に英語を正科とした。直前の1858年には長崎で英語伝習所が開設され、1859年にはジョン万次郎が『英米対話捷径』という英会話教本を出版している。19世紀は日本の英語教育が萌芽した時代だった。そして明治維新を経た19世紀末から20世紀初頭、「英語」は日本の教育に根を下ろしていった。福沢諭吉、森有礼、津田梅子……。たくさんの偉人たちの力で日本の英語教育が築かれた。
日本人が英語を学ぶのは、第二次世界大戦に負けたからでも、覇権国家に対してへつらっているからでもない。日本に英語教育があるのは、幕末・明治の人々の優れた国際感覚のたまものだ。
当時、アジアの小国は欧米の植民地支配を受けており、さらに中国・ロシアという大国が日本に隣接していた。当時の日本の指導者たちは、欧州の覇権国家であるイギリスを真似することで、日本をアジアの覇権国家にしようとしたのだろう。科学雑誌Natureは1869年の創刊だ。いち早く産業革命を果たしたイギリスが科学技術の面で進んでいたことも、日本人が英語を選んだ理由の一つだった。
では、いま英語を学ぶのはなぜだろう。
21世紀に英語を学ぶことには、一体どんな意義があるのだろう。
月並みな意見だが、英語が世界の“共通言語”になりつつあるからだ。たとえば日本人が、ソウルやホーチミン、ジャカルタ、クアラルンプール出身の人々と会話するとき、何語を使えばいいだろう。あるいはニューデリーやドバイ、イスタンブール、カイロの人々と仕事をするとき、何語が第一選択肢になるだろう。
言うまでもなく英語だ。
世界中どこに行っても、主要都市では英語を利用できる。だからこそ英語を学ぶべきなのだ。イギリス人やアメリカ人と会話できるのは“おまけ”だ。ラテン語やギリシャ語、あるいはサンスクリット語や漢文のように、地域の“共通言語”が生まれるとその地域は発展する。
コンスタンティノープルがオスマン帝国によって攻め落とされたとき、ビザンツ帝国の知識人たちはヨーロッパへと逃げ延びた。その際に古代ギリシャやローマの文献が持ち込まれ、イタリアでルネサンスが起きた。つまり当時のイタリアの知識人たちは、ラテン語やギリシャ語を理解できたのだ。もしもラテン語が完全に忘れ去られていたら、ルネサンスは起こらず、それに連なる宗教改革も始まらず、プロテスタントの勤勉と貯蓄が資本主義を生むこともなく、イギリスで産業革命は起きず、いまの私たちの生活は無かったかもしれない。
あるいは漢文は、東アジアの文明に絶大な影響を与えた。そもそも漢文を輸入したからこそ、日本語の“表記”が可能になった。また古代から近代にいたるまで日本の知識人は漢文を“共通言語”として利用していた。冲方丁の小説『天地明察』は、江戸時代前期の天文学者・渋川春海の一生を描いている。作中で春海は、ヨーロッパの書物の漢訳版を入手する。東西の天文観測の結果を比較することで、春海は極めて正確な“暦”を作成した。
“共通言語”があれば、信じられないほどたくさんの情報にアクセスできる。古くはシュメール語がメソポタミア地域の“共通言語”となって、バビロニアの成立を影で支えた。入手できる情報の量が、文明の発展に寄与するのだ。
そして人類はいま、歴史上例を見ないほど広範囲で使える“共通言語”を手に入れた。
人類文明はまさにいま、爆発的発展を迎えようとしている。
英語に限らず、言語を学ぶときには目的を明確にしたほうがいい。ただ読み書きできればいいのか、共通言語として会話に使いたいのか、それともネイティブたちに溶け込むレベルまで極めたいのか。目的に応じて学習方法も変わる。あなたが必要とするレベルに合わせて、適切な方法を選ぼう。選ぶことができるほど充実した英語学習環境が、日本にはあるのだから。
3.漢字が使える
欧米の知識人が日本語について語るとき、しばしば漢字不用説を唱える。漢字は日本語のノドに刺さった小骨のようなもので、漢字を使えることが社会的なステータスとなるため、非合理的な文字体系であるにもかかわらず、いまだに使われているのだという。この意見に対して、日本語話者のみなさんはどのような感想をお持ちになるだろうか。
そもそも欧米では、中国について学ぶ機会がほとんどないらしい。そのため、非民主的な近年の中華人民共和国のイメージだけで“中国”を語ってしまう知識人が少なくない。しかし漢字の誕生は殷代の甲骨文字にまで遡り、現在の私たちが使っている“楷書”ですら、3世紀からおよそ1800年も使われ続けている。そして15世紀ごろまでは、中国は世界で最も進んだ科学技術・文化を持っていた。歴史の長さから言っても、文明の程度から言っても、漢字にはアルファベットに勝るとも劣らないメリットがあったはずだ。
ずばり、情報の圧縮能力。これだろう。
当たり前だが、1字で表現できる情報量が漢字は圧倒的に多い。アルファベットならば何文字も必要とする内容を、たった1字で表現できる。覚えるのが大変なぶん、一度覚えてしまえば読書の効率が良くなる。知識をすばやく吸収できるようになる。
第二次世界大戦後、ベトナムや韓国は漢字を捨てた。当時はまだ印刷技術が現在ほど発達しておらず、漢字を活字印刷するには膨大な設備投資を必要としていたからだ。日本でも1970年代まではガリ版印刷が一般的で、現在のように気軽に漢字を印刷できなかった。そのためだろうか、日本の識者からも、漢字廃止論が過去に何度も叫ばれている。たとえば志賀直哉の「国語問題」という論文が有名だろう。
しかし日本は漢字を捨てなかった。というのも、日本ではオランダ語やポルトガル語、ドイツ語の和訳・漢訳が進んでいたからだ。ドイツ語のNerve-が「神経」と訳され、英語のartが「芸術」、freedomが「自由」と訳された。明治時代の翻訳センスには脱帽する。(※そうだよな、自由って「自ずから由とする」ってことなんだよな……)外国語に頼らなくても、日本語だけで高いレベルの教育を受けられるようになっていた。
一方、漢字を捨てた国々では学術が退行したという。少なくとも自国語での教育・学習に問題を抱えるようになった。まず、自国の古い文献にアクセスできなくなり、伝統的な知識・文芸が失われてしまった。また、表意文字である性質上、漢字文化圏ではどうしても同音異義語が増える。たとえば日本語には「こうがい」と発音する単語が10個以上ある。(※10個すべて書けますか? 回答は記事下部)漢字を廃止するということは、これらを書き分けられなくなるということだ。「貴社の記者は汽車で帰社しました」という一文、漢字を使わなければ意味が通じない。これは一例だ。学術用語には漢訳された造語が多く、漢字がなければ自国語での学術が崩壊してしまう。日本は漢字を捨てなかったおかげで、高度な教育を自国語で受けられるのだ。
漢字のメリットはそれだけではない。
そう、中国の台頭だ。
中国語を学んだことのない日本人サラリーマンが、英語の通じない北京市民と筆談で意志疎通をはかる……。日本企業の中国ビジネスでは見慣れた光景だ。欧米企業ではこうはいかない。アルファベット圏の日本語学習者にとって、いちばんのハードルは漢字の存在だという。日本語ですら漢字でつまずくのに、いわんや中国語をや。欧米人からすると、かな文字があるぶん日本語のほうがとっつきやすい。らしい。
20世紀末から21世紀初頭にかけて、中国はとてつもない発展を遂げた。最近では「経済発展に陰りが見えてきた」という意見も目にするが、民主化がうまく進めばふたたび勢いを取り戻すだろう。日本人の「勤勉さ」とは少し違うが、野心的でよく働く人々が13億人もいる。まだ耕されていない農地や未開発の鉱山がたくさん残っている。これで経済発展しないのなら、政治の失敗としか言いようがない。そして政治はいつか必ず正常化されるのだ。
日本人は漢字を知っているため、中国語の習得に必要な時間を短縮できる。またシンガポール等の漢字圏の人々と筆談を試みることもできる。世界経済に占める“漢字文化圏”の存在感が増したことにより、漢字のメリットが増しているのだ。ベトナムや韓国でさえ漢字復活の動きがあるという。
ほとんどのアメリカ人は漢字を知らないし、使えない。たしかに英語は覇権国家の言葉として、世界中で使えるようになった。が、北京で仕事をするのなら、英語を学んだことのない現地市民とも意志疎通をしなければいけない。漢字を知らなければ筆談など不可能だし、中国語の習得にも膨大な時間がかかる。漢字文化圏が台頭するこれからの時代、日本人は「漢字を持っている」という点で、欧米人よりもはるかに優位なのだ。
◆
世界的に見れば「日本語話者であること」は貴重な能力だ。また日本は「英語学習の環境」が整っている。さらに「漢字を持っている」ことで、今後の漢字文化圏の台頭に(欧米人よりも)かんたんに対応できる。日本語、英語、中国語。これら三つの言語を使えることは、21世紀を生きるうえで大きなアドバンテージになる。日本語は落日の経済大国の言葉として。英語はこれからの世界の“共通言語”として。中国語は漢字文化圏の台頭に対応するための言葉として……。
日中英の三つの言語を比較的かんたんに習得できること。これが21世紀を生きる私たち日本人の優位性だ。「語学」に関して言えば、日本人ほど恵まれた立場にいる人々はいない。
では、これからの日本人はどのような生き方をすればいいだろう。
小さくなった地球で、日本人はどのような立ち位置につけばいいだろう。
日本は先進国の一つに数えられる。開国後、日本は欧米を模範にしながら成長してきた。明治にはイギリスやプロイセンなどのヨーロッパを、敗戦後にはアメリカを範として、“極東の白人国家”であるかように振る舞ってきた。しかし日本は、先進国である以前にアジアだ。標識や看板は「漢字」で書かれ、モノが壊れることを「お釈迦になる」と言う。私たちは箸でコメを食べるアジア人なのだ。
かつて日本列島は不沈空母と呼ばれ、共産主義勢力に対する資本主義勢力の最前線とされていた。これからの日本列島は不沈商船となって、アジアと欧米とを仲介する立場になるべきだ。これからの日本人はこの島々を母船として、世界中を相手に商売をしていくべきだ。アジアと欧米を結びつけて、世界を一つの経済圏へとまとめ上げるのだ。
紀元前14世紀~13世紀頃、フェニキア人は海上貿易を発達させ、地中海を一つの経済圏へとまとめ上げた。各地にフェニキア人の商業基地が生まれ、なかでも紀元前814年頃に作られたカルタゴは大都市へと発展した。しかし彼らは貿易をするのみで土地を奪おうとはせず、カルタゴでも先住民に土地使用料を支払っていたという。フェニキア人はその後、ヘレニズム文化に編入されつつ紀元前4世紀には姿を消してしまう。けれど彼らは、かけがえのないものを後世に残した:アルファベットを発明したのだ。
フェニキア人は根っからの商人だった。世界を相手に商売をしながら、人類文明に多大な貢献をした。彼らの生き方に、私は日本人の未来を想う。紀元前14世紀、商売の相手は海の向こうにいた。21世紀、商売の相手は画面の向こうにいる。薄い液晶画面一枚だ。
地球は狭くなった。
しかし誰もが、この小さな地球を駆け回れるわけではない。日本人ほど恵まれた立場の人々はいない。幸運を活かせるかどうかは、あなたの生き方にかかっている。
執筆: この記事はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
ガジェット通信はデジタルガジェット情報・ライフスタイル提案等を提供するウェブ媒体です。シリアスさを排除し、ジョークを交えながら肩の力を抜いて楽しんでいただけるやわらかニュースサイトを目指しています。 こちらのアカウントから記事の寄稿依頼をさせていただいております。
TwitterID: getnews_kiko
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。