『千日の瑠璃』50日目——私は北だ。(丸山健二小説連載)
私は北だ。
誰しもが心のどこかで忌み嫌っている、東でも、西でも、南でもない、北だ。大方の人々は、暗くて、不吉で、ろくでもないことはすべて私が送りこんでくるものと頭から信じている。ところが私がまほろ町へ届けるのはせいぜい寒風くらいで、災いといえるほどの災いをもたらしたためしはほとんどない。昼夜の別なくとても有害な煙をもくもくと吐き出す工場があったのは、町の南だった。また、かつてうたかた湖周辺の山々を舐め尽くした炎は、西の方から燃え広がってきた。そして、男という男を兵士に仕立てずにはおかぬ恐るべき力は、東の方からどっとなだれこんできたのだ。
それでも尚人々は、私を死の方角と一方的にきめつけたがる。私が寒風を用いてどんなに異議を申し立てても、まともに取り合おうとはしないのだ。生者は私に足を向けて眠り、死者は思考能力を失ったばかりの頭を私の方へ向けて横たえる。これから私が送り届けようとしている、二種類の白鳥のことを思い出してもらえないだろうか。吹雪が与える一家団欒を忘れてもらっては困る。
この町で私を差別しない唯一の人問、少年世一は今、私の主張を口笛で代言している。私はこっちへ来いと世一を誘う。さまよえるボートを差し向けるから、それに乗って来いと言う。しかし本来なら南方で越冬すべき青い鳥が、騙されてはいけないと騒ぎ立てる。
(11・19・土)
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