オレらが日本になぜ絶望したか 第二次ベビーブーマーを見捨てた政権を忘れない 全てが遅い「就職氷河期世代」対策|中川淳一郎
昭和に生まれ、平成の初期をいわゆる“若者”として生きた者として言いたいことがある。それは大人として「バブル」を経験したかどうかだ。バブル経済の崩壊は1991年3月とされているが、その直後大学生・社会人になった者はまったくバブルの恩恵は受けていないことをここで強く主張する。
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熾烈な生存競争を強いられた40代
第二次ベビーブーム世代なだけに人数が多いため大学受験と就活は困難を極めた。ここでは、「バブルのいい時代を過ごしたんだから今、キツくてもあんまり文句言わないでくださいよ~(笑)」みたいに言われる現在の43歳~48歳ぐらいまでの気持ちを代弁する。
私は1973年生まれで、1993年に大学に入学した。完全にバブルは崩壊しており、「これからオレら、どうやって就職できるの?」といった時代である。だが、若者の認識も含めた歴史の中では1993年の大学入学組は「バブルっぽい」扱いをされている。
いえいえいえいえ、全然違うんですよ、コレが。
まず、私の生まれた昭和48年(1973年)は200万人以上が産まれた年であり、受験と就活については最悪ともいえる状況だった。だからこそ、本来優秀で他の年に生まれていれば活躍していたであろうヤツらがニートになったりしたのである。
その後、若者の就活事情が好転し、政府は我々「氷河期世代」に対する仕事の斡旋をあれから20年ほど経ってやるようになったがもう遅い。
バブル崩壊の後、我々のような第二次ベビーブーマーが20代中盤の時に時の政府は策を打つべきだったのである。
結果的に我々の世代は「もしもあと5年早く生まれていれば……」「もしもあと5年遅く生まれていれば……」的な苛烈な競争を経験し、結局は無職やニート、非正規雇用になったのだ。
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30年近く時給は上がっていない
正直、私自身はこの苛烈なる競争世代においては「勝ち組」だと思う。それは単に僥倖だっただけであり、自分だってそうではない状態になった可能性はかなり高いからだ。ちょっとした運命の歯車により「勝ち組」方向に行けたが、これだけ人数の多い第二次ベビーブーマー世代を見殺しにした何代もの政権は、今こそ反省すべきだろう。
完全に我々の世代は絶望している人々が多い。元々我々は父親が「頑張れば頑張るだけ給料もらえるよ!」的に言っていた世代だ。そして、高校時代、少し上の大学生たちがバブル景気をもとにディスコでフィーバーイェーイェー的なことをやっている様を遠巻きに眺めていた。
それがオレらにも来るのかな~、楽しみだなぁ~なんて思っていたらバブルが崩壊。その後はバイト求人誌をいかに早く手に入れるかの勝負となり、時給900円超の仕事をいち早くGETできるヤツが「勝ち組」となった。
これが1994年頃の話である。
こうした経験を経て、今の日本を考えると、実は時給はさほど変わっていない。えっ? 26年後でも1000円行っていればすごいの? 的だ。
1990年代前半、学生になった我々は「日本は先進国の中でも幸せで時給が高い国。イギリスなんて衰退国」みたいな言説を述べていたが、多分これはもう違う。オレらはもうヤバい状態にある。
間違いなく今の日本は私が大学生だった1993年~1997年と比べて「質は上がったが支払う額は少ない」状態だ。それは、とにかく低価格と「コスパ」を求める大衆が作り上げたクソ文化である、と思う。いい加減に「コスパ信仰」から逃れなくては我々は貧乏まっしぐらだぞこの野郎。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)
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