「民主主義」解説(内田樹の研究室)

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「民主主義」解説

今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

「民主主義」解説(内田樹の研究室)

角川ソフィア文庫『民主主義』の解説を書いた。とてもよい本だったので、できるだけ多くの人に手に取って欲しいと思う。
「民主主義 (角川ソフィア文庫) 」2018年10月24日『amazon.co.jp』
https://www.amazon.co.jp/dp/404400434X/

 戦後、憲法が施行されて間もなく文部省が「民主主義の教科書」を編んだことがあった。1948年に出て、53年まで中学高校で用いられた。それがたいへんにすぐれたものであったという話は以前から時おり耳にしていた。とはいえ、今の文科省の実情を知っている者としては「昔は今とはずいぶん違って開明的な組織だったのだな」という冷笑的な感想以上のものを抱くことができなかった。
 その本が復刻されるので解説を書いて欲しいという依頼を受けた。ネットの書誌情報を見ると、これまでに復刻版が1995年に径書房から、短縮版が2016年に幻冬舎から出されている。いずれもまだ流通中であり、そこにさらに復刻版を出すことは「屋上屋を重ねる」ことになりはしないかと心配したが、それは私の与り知らないことである。良書が複数の版元から異なるヴァージョンで提供されるのは間違いなくよいことである。
 最初にメールをもらった時は、中学高校生向けの「民主主義の教科書」というのだから、きっと薄手のパンフレットのようなものだろうと思って引き受けたのだが、送ってきたゲラを見たら445頁もあった。最初に出たときは上下二巻だったそうである。とても中高生向けの教科書ではない。ほとんど学術書である。けれども、構成が端正で、論理の筋道が確かで、文章がよく練れていて、何より「民主主義とは何か」を十代の少年少女に理解してもらおうと情理を尽くして書かれている文章の熱に打たれた。
 そして、読み終えて、天を仰いで嘆息することになった。それは今から70年前に書かれたこの「教科書」が今でも十分にリーダブルであり、かつ批評的に機能していたからである。
 ここに説かれている「民主主義とはどういうものか」という説明は、今読んでも胸を衝かれるように本質的な洞察に満ちている。「そうか、民主主義とは本来そういうものだったのか」と今さらのように腑に落ちた。リーダブルというのはそのことである。
 同時に、この本が熱情をこめて訴えて、今後の課題として高く掲げていた「その民主主義をどうやって実現してゆくのか」について言えば、その課題はそれから70年を閲してもほとんど実現されることがなかった。批評的というのはそのことである。
 
 この本はきわめて論理的に、構成的に書かれている。だから、この種の書物としては例外的にわかりやすい。いささか観念的な議論に流れそうだと執筆者が判断したところでは、具体的な事例を挙げたり、歴史的経緯を遡ったりして、中学生にでもわかるように実に懇切丁寧に噛み砕いた説明がしてある。だから、たいへんわかりやすい。
 けれども、この「わかりやすさ」に私は微妙な違和感を覚えもしたのである。それはこの書物の成立事情に「検閲」がかかわっていたからである。
 本書は1948年に、GHQの指示に基づいて、日本国憲法の理念を擁護顕彰し、民主主義的な社会を創出してゆくという遂行的課題を達するために、敗戦国の役所が、子どもたちを教化するために出版した。
 この歴史的条件は、執筆者たちに、いくつかのことについては「書かなければならない」という実定的なしばりを課した。そして、それと同時に、仮に執筆者たちが心の中で思っていたとしても「書くことを禁じられていたこと」もあったはずである。
 私は以前フランスの思想史を研究していた頃、ナチスドイツの占領下でフランスの知識人たちがドイツの検閲官の眼を逃れるために、どのようにして彼らの「ほんとうに言いたいこと」を暗号で書き記したかについて調べたことがある。その時に私が得た読解上の経験則は「ほんとうに伝えたい隠されたメッセージは、文章の表層に、あたかもごく日常的な普通名詞のように、無防備に露出しており、そのせいでかえって検閲官の関心を惹くことがない」というものであった。この経験則がこの本についても適用できるかどうか、わからない。けれども、この本を検閲という歴史的条件抜きに読むべきではないだろうと思う。それによって文章はある種の「屈曲」を強いられていたはずである。その屈曲を補正することで、私たちはこの教科書を書いた人たちが敗戦国の少年少女たちにほんとうは何を伝えたかったのかについて推理することができるのではないかと思う。この本の魅力は、コンテンツの整合性や「政治的正しさ」よりむしろ、書き手のこの屈託と葛藤が生み出したものではないのか。その仮説をしばらく追ってみることで本書の解説に代えたいと思う。

 これは第二次世界大戦が連合国の勝利に終わった直後に、連合軍の占領下にある敗戦国で出版された教科書である。だから、本書がイギリス、フランスなかんずくアメリカに現存している民主主義的な統治システムが人類の進歩のみごとな達成であるという評価を不可疑の前提とするのは当然のことである。大日本帝国の軍国主義とドイツのナチズムとイタリアのファシズムとは許し難い「独裁主義」として繰り返し、きびしく批判される。そればかりではなく、東西冷戦の前夜の緊張感が背景にある以上、枢軸国を切り捨てた返す刀で、スターリンのソ連におけるプロレタリア独裁もまた民主主義の本義に反する政体としてきびしく懐疑的なまなざしを向けられる。政体の良否についての判断はほとんど先験的に明らかである。
 しかし、それにもかかわらず、ここには検閲者であるGHQを慮った、強者に理ありとするタイプの事大主義的な文言は見ることができない。私はこの抑制に驚かされる。この節度ある文体を保つために、どれほどの知的緊張を執筆者たちは強いられたのかだろうか。
 もちろん全篇を通じて、アメリカの統治システムは高く評価されている。けれども、その評価は客観的である。たしかな歴史的な裏付けと、執筆者自身の信念に基づいて、その評価は下されている。アメリカ独立の経緯から説き起こし、その内部矛盾や金権政治の弊を指摘し、大統領・議会・最高裁判所が拮抗するアメリカの制度の「大きな妙味」を記した章の執筆者は、はっきりとウッドロー・ウィルソンとフランクリン・ルーズベルトの政治理念への支持を明らかにしている。ルーズベルトのニューディール政策の白眉であったTVAの事業の卓越性をたたえることにかなりの紙数を割いており(427頁)、資本主義の暴走を政策的介入によって抑止し、「完全雇傭」(210頁)を実現しなければならないというケインズ主義への共感も隠されていない。また女性の参政権や社会進出について書かれた章では、独立宣言の起草者のひとりジョン・アダムズの妻が女性の権利拡大を夫に訴えた手紙を採録し、あまり知られていないアメリカにおける女性の権利拡大の歴史についても深い共感をもって記述している。(360頁)
 つまり、この「教科書」の執筆者たちは「アメリカはどうして最強国になったのか、アメリカから学びうるものがあるとすれば何か」についてはかなりはっきりとした個人的な信念に基づいて執筆しているということである。おそらく彼らはGHQの検閲官たちよりも自分たちの方がアメリカの歴史や統治システムについて精通しているという知的な自負に支えられていた。そのようなすぐれた執筆者を集めることができたという点ひとつをとっても、この「教科書」は異質なものと言える。
 共産主義についての評価もきわめて精密で周到な筆致でなされている。先ほど触れたように、ソ連のスターリン主義(という言葉はまだなかったが)と国際共産主義運動については何か所かで手厳しい批判が記されているけれども、これもあくまでソ連の統治システムが十分に民主主義的でないという点について、「手続きに問題あり」として批判されているのであって、共産主義は原理的に間違っているとか、私有財産の廃絶など狂人の妄説であるというような一刀両断的断罪ではない。
 だから、この本の共産主義にかかわる部分が検閲に供された過程で、GHQ内部でこの採否をめぐって対立があったとしても私は怪しまない。これが(多少の改変はあったかも知れないけれど)このかたちで通ったのは、GHQ内部の「ニューディーラーたち」がこの記述に一定の共感を抱いたからだろう。
 本書にはこうある。「各国の共産党にしても、もしもそれが議会政治の紀律と秩序を重んじ、ひとたび議会での多数を獲得すればその経綸を行い、少数党となれば、多数に従うという態度ですすもうとしているのであるならば、それは、レーニンなどによってひよりみ主義として痛烈に非難されたマルクス主義陣営中での穏健派の立場に帰っているのである。」(280頁)
 つまり、この教科書はマルクス主義政党が民主的な手続きで議会内の多数派を制したならば「その経綸を行う」ことを当然の権利として認めているのである。
 この政治的寛容は、この教科書を読む中学生や高校生のうちに、マルクスをすでに読んで共感したものや、いずれ読んでマルクス主義者になるものが必ず一定数いることを予測しているがゆえに採用されたのだと私は思う。それゆえ、なぜマルクスの社会理論が19世紀のヨーロッパに生まれたのか、その歴史的必然性を明らかにした上で、これは日本がとるべき途ではないと諄々と「諭す」という文体を執筆者は採用している。そして、日本が民主主義的な政体である限り、マルクス主義者たちとの対話は可能であり、双方が情理を尽くして話し合えば、合意形成は可能であるという希望を暗黙のうちに語っている。これは読者の知性を信頼する書き手にしか採用できない書き方である。

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