原発と 「自転車置き場の議論」について

自転車置き場の議論

この記事はmedtoolzさんのブログ『medtoolzの本館』からご寄稿いただきました。

原発と 「自転車置き場の議論」について

### 改変引用 ###
原子炉の建設のような莫大な予算のかかる議題については誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾する。
人が集まると、瑣末なことほど議論が紛糾するこの傾向は、FreeBSD のコミュニティでは自転車置場の議論 (bikeshed discussion) と呼ばれているらしい。

「自転車置場の議論」2006年10月14日『bkブログ』
http://0xcc.net/blog/archives/000135.html

原子炉の信頼性向上が叫ばれて、これからたぶん、文字通りの「自転車置き場の議論」が出現してくる。
電力会社の怠惰を叩く市民団体の人たちにしたところで、「発電所をより良くしたい」という思いそれ自体は、疑いようもなく強いのだろうと思う。
ところがたぶん、信頼性の向上を心から願うそうした人達は、原子炉本体の更新費用を削り、浮いたお金で「素晴らしい自転車置き場」を設置したりする。
「安全な原子炉」がほしい普通のお客にすれば、自転車置き場はどうでもいいから、とにかく設備本体の安全にお金をかけてほしいと願う。ところが原子炉本体は複雑に過ぎて、そもそもどこにお金を投じればどういう効果が得られるのか、限られた専門家にしか、もしかしたら専門家にだって確定的なことは答えられない。
専門家に対する信頼が失われてしまうと、今度はたいてい、専門家に「気合を入れる」必要性が叫ばれる。
大量の予算が自転車置き場に投じられる一方、設備本体への投資は減らされ、人件費は削られる。
専門家の待遇はいっそう悪く、そうして「気合の入った」専門家に素晴らしい発想が求められ、従来以上に満足のいく技能履行が期待されることになる。
みんなが不幸になる結末は誰の目にも明らかなのだろうけれど、「より良くしたい」という思いに後押しされるこうした流れは、多数決ルールだとなかなか止められない。
公務員を叩き、技術者を叩き、よりひどい待遇を約束し、同じ口でより素晴らしい成果を約束してみせる。成果の不足は自明だけれど、不足はより一層の「気合」となって現場に跳ね返る。
安全を願う人が増えれば増えるほどに、安全はむしろ遠のく。誰もが原子炉に「飽きて」、自転車置き場のことなんて誰もきにしなくなった頃、ようやくたぶん、設備の更新に予算がついて、安全は少しだけ近くなる。
そんな市民の代表が、これからまだまだ成功するのだろうと思う。

執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『medtoolzの本館』からご寄稿いただきました。

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