東北の農村を舞台に繰り広げられるヒューマンドラマ 矢口高雄のキャリア初期の名作「おらが村」を読み解く

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「釣りキチ三平」で有名な漫画家の矢口高雄先生は、雄大な自然を舞台にした作品で知られています。

今回は矢口先生のキャリア初期の作品「おらが村」をご紹介します。

舞台は東北、奥羽山脈の麓にある村。1日5往復のバスはあるものの、冬季は積雪のためそれもストップしてしまうという環境下です。そんな村に居住まう高山家は、比較的裕福な農家。主の高山政太郎は村議会議員でもあります。

日本が高度経済成長を遂げた昭和30~40年代、東北の農村にも都会から豊かさが伝達していきました。ですがそれは必ずしもいいことではなく、村の若者は農閑期には出稼ぎへ行ってしまいます。

そのような歪みを背景に、高山家は茅葺き屋根の下で日常を営んでいきます。

山村の中のヒューマンドラマ

ヤマケイ文庫として復刊した「おらが村」(山と溪谷社)は一挙収録版と言えるもので、総ページ数は実に800ページ。ちょっとした辞書のような分厚さですが、実際に読んでみるとテンポよくページを進めることができます。

1955~1970年代の東北の山村は、現代日本に生きる私たちとは疎遠のような気もします。ところが、東京とはまるで別世界の山村が舞台だからこそ、そこに生きる人の知恵や思惑、葛藤などが新鮮味を帯びてこちらに伝わってきます。

たとえば、村では「嫁ききん(飢饉)」が深刻化しています。若い女性は都市部へ流出してしまいます。これは少子高齢化の原因になる事態です。

その中で高山家の長男政信は、村の数少ない妙齢女性である律子に恋をします。ここでのポイントは、政信は農家の跡取り息子で律子は一人娘という点。彼らの恋は、決して成就することはありません。

律子の家は婿養子を取る必要がありますが、将来自分の家を継ぐ政信がその婿養子になるわけにもいきません。

その上、律子には既に婚約者がいます。家の存続が最優先される山村では、たとえ相思相愛でも実らない恋に終わってしまうこともあります。

豪雪地帯ならではの苦労

田舎に憧れる人は、決して少なくありません。

都会よりも食べ物が美味しく、のどかで、広々とした土地にも恵まれている農村部。ですが「おらが村」では、山間集落故の苦労やつまらなさも余すことなく描かれています。たとえば、田舎の暮らしに憧れて高山家にやって来た横浜生まれの青年は、納豆汁に舌鼓を打ち雪合戦に興じます。しかしそれも最初のうちで、次第に「豪雪地帯の退屈さ」に苛まれることになります。

分厚い雪で閉ざされた村。そこでできることと言えば、家の中で食べて寝ることだけ。飲食店や映画館のような気晴らしができる施設は一切なく、結局は早々と都会に戻ってしまいます。

この作品は、ただひたすら山村を美化しているわけではありません。ありのままの現実を織り交ぜつつ、農家の平凡な日常を描写している作品と言えます。

おらが村は高度成長期の物語

「おらが村」を読み終わってしばらくすると、「あの村は今、どうなっているのだろう?」と思案してしまいます。

先述の通り、この物語は1970年代のもの。新幹線や高速道路の設置でたくさんの雇用が生まれ、給料も年々上がっていく時代です。「東京は景気がいい」というような話が、作中にも出てきます。

しかし、このあとはどうでしょうか。バブル景気とその崩壊、20年に及ぶデフレ、そしてリーマンショック。日本経済は苦境の輪をくぐる運命に遭遇します。おらが村は、この苦境を乗り切ることができたのだろうか——。

それに加え、今の日本は少子高齢化の問題が深刻になっています。

この物語は決して昔話などではなく、むしろ現代日本をはっきりと映し出している鏡のような作品と言えます。



ベストセラー1位!!『ヤマケイ文庫 おらが村』

(山と溪谷社)

著者:矢口高雄
販売価格:本体1,600円+税

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