障害者の家族こそ、障害者の敵である(少なくとも、ある側面では)(あままこのブログ)

障害者の家族こそ、障害者の敵である

今回はあままこさんのブログ『あままこのブログ』からご寄稿いただきました。

障害者の家族こそ、障害者の敵である(少なくとも、ある側面では)(あままこのブログ)

どうも、あままこです。

もう、本来だったら前回の記事に引き続き天気の子の話をしたいんですが、twitterを見ていて、あまりに腹が立つというか、「リベラルの中でさえ未だこのレベルなの!?」と落胆するような出来事があったので、記事を書きます。

きっかけはこのツイート。

山本太郎は全くわかってない
ALSの患者は、気管切開してたら24時間フル介護が必要
国会に看護師を常駐させて、投票時の意思疎通とかやらせる気かよ
国会中に痰吸引の音が響くぞ、やらなきゃ死ぬから、で途中退席は棄権になるし
軽く考えすぎだ

妻がALSの男より
な #アベマ選挙SP

このツイートを、木上ちがやとかいう大月書店から本を出したり、論座に記事を書くような人が、以下のように擁護するわけです。

この方のツイートに目も当てられないようなメンションがぶら下がっています。船後さんが立候補したのは本人の意思ですが、当選させたのは有権者の意思です。だからこの方の批判をきちんと受け止めて、政党や議会がきちんと船後さんが活動できる場を保障する責任がある。この方を叩くのは筋違いでしょう

いやでも、ALSの家族の意見なんですから、とにかくいまは議会にちゃんとらやせないと。議会がちゃんとやらなかったら、政治不信にしかならないですよ。

「どこのどなたかわからない別人の家族に代弁させる必要はありません」

僕は当事者の家族の方に、こんなことよういいません。

これを見たとき僕は愕然とするわけです。

「障害者の家族が障害者の意見を代弁したり、障害者の権利を擁護することなんてできない。なぜなら、障害者の一番の敵は、障害者の家族だから」

こんなの、ちょっとでも障害者問題に関心があったり、障害者に普段接する機会があったら、当たり前のことなんですが、大月書店から本を出したり、論座に記事を書くような人、僕よりずっと勉強してるような人が、それを知らないなんてことあるのかと。

障害者の家族は、むしろ障害者が意見を言うのを嫌がる。面倒だから

告白すると、実は僕自身、障害者の家族です。具体的に言えば、知的障害を持つ者の兄です。

ですが、僕は今まであまりネットではそれを公言してきませんでしたし、さらに言えば、障害者の権利擁護や差別反対といった活動からも、敢えて距離を取ってきました。

なぜか?

「障害者の家族」だから、障害者のために頑張りなさい。障害者の意見を代弁してやりなさいという、世間の声がうざかったからです。

一般的な社会問題としてなら、別に障害者の権利擁護とか差別反対には何ら反対しません。ですが、じゃあ実際、家族である障害者が、そういう声を上げ始めたらどう思うか?分かるでしょう。「面倒くさいなぁ、やめてくれないかなぁ」ですよ。

「そう思うのはお前が薄情で冷淡なだけ」と言う人もいるかも知れません。まあ自分が薄情で冷淡な人間であることは別に否定しませんが、じゃああなたがもし障害者の家族だったら、どうですか?

例を挙げて説明しましょうか。実際にあった例です。

僕と弟はある日遊園地(具体的に言うと、浅草にあるやつ)に行きました。その遊園地では、障害者割引があったため、弟はその障害者割引を使って入りました。

するとその遊園地では、バッジを弟の胸につけました。そしてこう言います。「障害者は、いざという時に危険だから、ローラーコースターやフリーフォールみたいなアトラクションには乗れませんと」。

それに対して弟は激怒するわけです。いや別に自分は身体に障害があるわけではないから、別にそういうアトラクションにも普通に乗れると。事実他の遊園地では普通にローラーコースターやフリーフォールみたいなアトラクションにも乗っている。これは明らかに、障害者に対する合理性のない差別だと。

そして弟と遊園地のスタッフの間で口論が始まるわけです。

それをそばで眺めていて僕は何を思ったか?「そうだ弟の言うとおりだ。これは差別だ」と弟と一緒に憤る?「いやでも遊園地のスタッフの言う通り危険かもしれない」と、遊園地側に理解を示す?

答えはこれ。

そんなのどっちでもいいよ。なんで遊園地を楽しみにしてたのに、こんな口論をしなきゃならないのさ」ですよ。

だって別に弟が我慢さえすれば、僕は普通に自由にいろんなアトラクションにも乗れるんですから。さらに言えば、口論をしてれば当然周囲からはいろんな目で見られます。遊園地のスタッフからは「なんとか弟さんを説得してよ」という目で見られるし、周りの人からは「なんかクレーマー二人が遊園地のスタッフにクレーム付けてる」という目で見られるわけです。

そんな状況に至れば、人間「面倒くさい」と思うわけです。そしてそういうことが何回も重なるうちに、障害者の家族はこう思うわけです。「こいつが黙ってさえいてくれれば、全てが丸く収まるのに」と。

だから、障害者のことは、家族ではなく、障害者自身に聞かなければならない。障害者のためにも、家族のためにも

もちろん世の中には「いやそうは思わない!私は障害者のために自分を犠牲にして頑張っている。」と主張する障害者の家族もいるでしょう。ですがね、そんなの人間が耐えられるわけないんですよ。必ずどこかで、「障害者のため」と言いつつ、自分のためにする行為が混ざってくるわけです。ていうかむしろそれが人間として健全なありようなわけで、その健全な有り様を否定すればどうなるか?障害者の家族によくある話。「これはあなたのためを思ってやってるんだから」という暴力・虐待です。

しかし世間はそれに対してこう言います。「障害者で同じ家族なのになんでこんなひどいことを。愛が足りないんでしょ」と。そして、更に障害者の家族に、障害者のために自分を犠牲にしろ、それが家族の正しい姿だと、圧力をかけるわけです。

もうこんなの、やめにしませんか?

障害者のことは、家族や、支援者ではなく、障害者自身が語るべきなんです。意見や要求を主張するのも、まず第一は障害者自身が声を上げるべきなんです。

そして障害者の家族は、「障害者」の意見や気持ちを代弁なんかできないということを認め、「障害者の家族」としてではなく、「自分」の意見を持ち、自分のために生きるべきなんです。

そのためには、まず社会が、障害者に意見を聞く時に、障害の当事者ではなく、まず家族や支援者に意見を聞こうとするのをやめるべきでしょう。障害者の家族が「障害者のためを思って~」とか言うときは、むしろ「それは障害者本人ではなく、あんたの意見でしょ」と、遠慮なく批判すべきです。

そうやってこそ、真に障害者と、障害者の家族が両方幸せになれるのではないでしょうか。

「障害者の家族で苦労してるんだから、それを批判するのはよくない」という偽善的態度こそが、何より障害者と、障害者の家族を追い詰めるのです。

 
執筆: この記事はあままこさんのブログ『あままこのブログ』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2019年7月24日時点のものです。

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