「父の一周忌に、私を故郷へ連れていって」赤ちゃんができたのに言えない! 本音を言い出せずすれ違う夫婦と亡き恋人を忘れられない男~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~
「赤ちゃんができたのに」本音を言い出せずすれ違う心
京で幸せな新婚生活と思っていたのもつかの間、中の君は夫・匂宮の新たな縁談に苦しみます。相手は夕霧右大臣の娘・六の君。愛されているとは言え、世間的には内縁扱いの自分は太刀打ちできるすべもなく、今後の不安からいっそ宇治に帰ってしまいたいと悲嘆に暮れます。でもそれも心の中だけのこと。夫にはそんな様子を気取られまいと、あくまでもさり気なく接しています。
匂宮は匂宮で、六の君との結婚を受け入れたことを自分の口から中の君に言えません。隠す意図はないけど、自分の言葉で彼女が傷つくのを見たくない。そのかわりいつにもまして優しく、将来だけでなく来世のことまで誓い出す有様です。
それでも中の君に笑顔は戻りません。というのも、梅雨の頃からどうにも体調が悪く、食事が進まず横になっていることが増えたのです。宮ははじめ「暑気あたりしたのだろう」と思っていましたが、一方で「もしや」と思うこともあり、赤ちゃんができたのではと訊ねますが、中の君ははかばかしい返事をしません。
宮の直感はアタリでした。事実、中の君は妊娠し、つわりで気分が悪かったのです。でもいちいちでしゃばって報告するような女房などもおらず、宮は妊娠した女性を身近で見たことがない。何より中の君自身が恥じらってろくに答えないので、具体的にわからないのでした。微妙な状況下で「私、赤ちゃんができたのよ」と胸を張って言えなかったのでしょう。お気の毒です。
夫婦のすれ違いは続きます。以前は中の君べったりで、夜も出かけることがなかった宮は、この頃は宮中での宿直をよく勤めるようになりました。
「六の君と結婚したら、独りで過ごす夜が増えるだろうし、今から慣れてもらおう」と言うのが宮の腹づもりですが、中の君はそんな夫の本心もわからず、ただただ寂しく辛いだけ。お互いに本音を明かさぬ間に、六の君との婚礼が迫ってきました。
8月某日がXデーだと世間のウワサを漏れ聞くたびに、中の君の心は暗く沈みます。(どうして仰って下さらないの。こうまで日にちが迫っているのに、ご自身の口から何もお話がないなんて……)。
押し切られてOKした結婚話を最愛の人に打ち明ける、というシチュエーションは、源氏と紫の上の間にもありました。女三の宮との結婚をOKした後、自宅に帰ってから源氏はすぐにその話を切り出せなかったものの、翌日には紫の上に腹を割って打ち明けています。紫の上に至っては、夫の様子の変化からそれとなく察してすらいました。
共に暮らした時間が圧倒的に少ないとはいえ、こちらの孫夫婦とはずいぶんな違いです。押し切られたとは言え、自分で決めてきたことなんだから、きちんと一言いってくれ! と思うのは当然のことでしょう。中の君のつわりも、モヤモヤがより一層気分の悪さを後押ししたのかもしれません。
不毛な関係も復活…それでも癒えぬ失恋の傷
薫もこの話に胸を痛めました。(中の君が本当にかわいそうだ。移り気な宮のこと、新しい夫人に心を奪われるのは時間の問題だろう。相手は右大臣家、一家総出で宮を囲い込んだら最後、いつ二条院に戻れるかわからない。中の君は辛い日々を送ることになるだろう)。
彼の心はいつものように後悔と嫉妬で埋められていきます。恋に落ちてからというもの、薫は聖人への道を踏み外し続けて、すっかり恋の泥沼にドップリ。今となっては宮に彼女との仲を取り持ったのも悔しく、ホイホイと新しい方へ乗り換えていく宮の軽薄さも恨めしい。薫の一徹な性格からは、どうにも宮のカルさが理解しがたく、もどかしい思いです。
(大君を亡くしてからというもの、想うのは中の君のことばかり。陛下が皇女との結婚をお許し下さっても全然心が弾まない……。それもこれも、中の君が大君の妹だと思えばこそ。
あの人は最期にも「私の代わりに妹をよろしく」「あなたが妹と結婚してくださらなかったことだけが残念」と言い残して逝った。天を翔ける彼女の魂も、こんな事になってどんなにつらく感じるだろう)。
悶々と考え続け、浅い眠りを繰り返す薫。しかし独り寝ばかりともいかず、最近は身近な女房とワンナイトすることも。中には情が移るケースもあろうかと思われますが、本気で愛することはありません。
また、薫は宇治の姉妹に似た境遇の女たちを探しては、母の女三の宮のもとへ置いたりしています。どこかに大君を思い起こさせるような人はいないかという一心ですが、結局はやっぱり「出家のとき、別れづらいような関係は持つまい」。寂しいくせに素直になれない自分を自虐的に思ったりもしています。誰を相手にするにせよ、不毛な関係です。
当時、元の身分は高くても、今はお勤めに出なければならない事情を持つ女性たちも少なからず存在したのでしょう。そして、大君や中の君も場合によってはそのような立場だったかもしれないことがよくわかります。
「見る間にしぼむ儚い花」霧の朝顔に想いを寄せて
亡き恋人への想いは尽きず、時たま適当な女を抱いても、薫のやるせなさは増すばかり。いつもよりも眠れぬまま朝を迎えた薫の目に、ある花の姿がとまります。霧の中に色とりどりの花が咲く中で、頼りなさげに垣根に咲く、朝顔の花です。
“朝顔を何は悲しと思ひけむ 人をも花はさこそ見るらめ“。朝のうちにだけ咲いてしぼんでいく、儚い朝顔の花。薫は感傷に浸り、そのまま人を呼んで二条院へ行く支度をするように言いつけます。
「宮様は昨晩から宮中で宿直ですよ」との言葉に「いや、それでいい。中の君へのお見舞いだから。僕も今日は宮中へ行くから、日の高くならないうちに」。薫は着替え、自ら朝顔の花を折り取って中の君のもとへ。
早朝に爽やかな姿を見せた薫に、二条院の若い女房は大喜び。今回は一番外側の縁側でなく、一段あがった所へ通されます。女房たちに促され、中の君が挨拶に出てきました。調子も良くないのに、朝早いお客の相手で大変です。
「お加減が良くないと聞きましたがいかがですか」。薫はまるできょうだいのように中の君を慰め、あれこれと声をかけます。対する中の君ははかばかしい返事をせず、まるで消え入りそうな雰囲気です。
宇治時代の彼女は明朗快活で、姉の大君とは似ているとも思わなかったのに、今となっては声すらもそっくりに聞こえてくるから不思議です。(ああ、人目がなければ、この御簾を引き上げて直接お話したい! 苦しそうなところを直に見て慰めたい!)。しかしそんなことが許されるわけもなく、薫は悶絶するしかありません。
話のついでに、薫は先程の朝顔を扇に載せ、そっと御簾の下から差し入れました。花びらに含んだ露もそのままに徐々に色が変わっていくのも、もののあはれを誘います。「亡き姉君が仰ったように、やはりあなたと結ばれるべきでした」。薫の本心そのものです。
目の前でみるみるしぼむ朝顔。「露を含んだまま萎れていくこの花よりも、もっと儚い私の身の上です。本当になにを頼りにしていけばいいのでしょう」。低い声で途切れがちに言う様もやはり大君によく似ていて、薫はいっそう胸を締め付けられる思いです。
「私を故郷へ連れていって」思いつめた彼女の意外な提案
薫は中の君を慰めるため、先日宇治に行ったことを絡めて自身の経験を語ります。「私の父、光源氏の院が亡くなる数年前に出家しましたが、院が亡くなられた後は六条院でも嵯峨院(源氏の出家先)でも、誰もが悲しみに暮れたものでした。
夫人がた、院にお仕えした者もみな四散し、悲しみに耐えられなかった女房などは自棄になって、山奥へ入ったり、辺境のさすらい人になったとも聞きます。
一時は見る影もなく荒廃してしまいましたが、その後、六条院に私の兄の夕霧が移り住み、宮様たちも住まわれるようになって、以前の面影を取り戻したのです。類なく悲しいことも、こうして時間が解決してくれるものなのだな、と思います。
こう言いますのも、当時の私はまだ稚すぎてよくわからなかったからです。でも……この最近の悲しみこそ、世の無常を感じる悲しみであり、罪深さでは勝るものがあるように思い、辛いのです」。源氏が出家したのは亡くなる数年前だったこと、隠棲先は嵯峨院であったことがここではっきりと語られます。
中の君は胸が一杯になって涙ばかりが溢れます。ふたりが共に抱ける想いは唯一つ、恋愛感情ではなく、亡き大君への思慕だけです。いくらか落ち着いた所で、中の君は意外なことを言い出しました。
「昔の人は、山里の寂しさも世の中の辛さよりは過ごしやすいと言ったそうですが、ここへきてようやくその言葉の意味がわかったような気がします。今やっと、静かなところで独り過ごしたいのですが、そうもいかず、弁の尼が羨ましい限りです。
今月の20日はあの山荘に近いお寺の鐘の音が聞きとうございます。どうか私をこっそり宇治に連れて行ってくださいませんか」。
8月20日は父・八の宮の命日。それに合わせて宇治へ行きたいと願う中の君。意外なことに薫は戸惑います。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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