場所が特定できぬ孤峰、スパゲッティコードとしての世界

場所が特定できぬ孤峰、スパゲッティコードとしての世界

 これは旅の物語であり、物語という旅である。地図はない。行ってみないと、その先がどうなっているかわからない。

 なにしろ登場人物たちがめざす、イシュクト山(最後の秘境と呼ばれている)がどこにあるやも判然としないのだ。麓への山道が出現するかは運によって左右され、すぐに麓にたどりつける者もいれば、幾たびも試みながらついに山の姿さえ見られない者もいる。

 このイシュクト山の不可解さもさることながら、この小説の筋道や構成が途方もない。

『偶然の聖地』は、もともと〈IN POCKET〉誌に、毎回五枚半ずつ連載された。

 単行本版のカバーを外すと、本体の表紙部分に作者のまえがき(?)があって、そこで次のように明かされている。

「検索にもかからない架空の山」「いつ現れるか消えるかもわからない山」というイメージがふと浮かび、それに伴って、その山を目指す人々が立ち上がってきたのだ。よし、山だ。あとは、適当にエッセイっぽいことを組みこめばそれで行けるに違いない。

 そして連載の第一回、ぼくは頭を抱えることになった。エッセイと小説の中間のようなもの。落ち着いて考えてみれば、それは小説にほかならなかったのである。しまった、これは一本取られたぞと思いながら、もういっそ小説でいいやと原稿を送った。

(略)なんといっても月に五枚半のこと。

 基本的にそれまで何を書いていたのか忘れるはずであるので、ある程度の大枠だけを決め、あとはそのとき考えていることや、ストックしてある小ネタを放りこんで行くことにした。

 これがぼくにとって、どんな話でも組みこむことのできる恰好の器となった。

「もういっそ小説でいいや」に笑ってしまった。この感覚が良い、じつに良い。小説というのは、ほんらい「いっそ」くらいの感じで書くものなのだ。

 そして単行本化にあたり、三百を超える「註」がついた。本文中の語句や文章に傍線がつき、そこから引きだし線が延びて、ページの上下の余白部分に説明を付すしくみだ。「註」のつけかたにレギュレーションはない。作品を読み説く重要なヒントもあれば、その部分の執筆経緯・状況の楽屋裏もある。宮内さん自身の記憶やそのとき考えていることや、どうでもいい語句の意味—-本文における用法の微妙な違いがギャグのように効いている—-もある。

 さて、物語のいちおうの語り手はサンフランシスコに住む怜威(れい)だ。「いちおうの」と言ったのは、この作品は複数のエピソードが縒りあわさっており、しかも、ある仕掛けによって、その部分を誰が語っており、誰が語られているのか、あとを読んでみないと(あるいはあとを読んでも)わからないからだ。

 しかし、読みはじめは、そこまで考えてなくてもいい。

 ともかく、怜威は、祖父の厄介事を片づけるために、イシュクト山へ向かうはめになる。イシュクト山攻略の相棒に選んだのは、小学校時代の同級生でオタクにしてバックパッカーのジョンだ。事前に情報を集めているとき、ティトというモロッコ在住の老人とネット経由で知りあう。ティトは若いころイシュクト山へ登ったことがあった。

 別な章では、ティトと友人ウルディンがギルギット(パキスタン)で、スペインから来たレタとフアナの二人組と出会い、偶然にもイシュクト山を登ることになった経緯が語られる。

 そんなふうに、この物語ではイシュクト山を目ざす者は、たいてい二人組として登場する。

 刑事ルディガーとその後輩バーニーは、不可解な事件の容疑者を追ったあげくイシュクト山へ接近する。その事件とはミイラ化した遺体の遺棄だ。遺体が発見された場所は、ほかならぬ怜威の部屋だった。このとき怜威はすでにジョンとともに出発していた。

 もうひとつの二人組が、世界医のロニーと泰志だ。世界医というのは、世界の不具合を修復する専門家のことだ。世界はやっつけのプログラムを重ねたようにロジックが絡まっており、しばしばバグが潜んでいる。そのバグを修正するのが世界医の役割だ。

 バグのなかでもよく知られているのは、旅春(りょしゅん)だ。秋のあとに訪れる一時的な短い春のことだが、現代においては、人ではなく時空の側がかかる精神疾患だと考えるのが主流になっている。

 この世界医ふたりが、どうして怜威たちのイシュクト行に絡んでくるのか、さらにはミイラ遺棄事件との関わりは? ……というあたりが、この作品全体的な見わたすときに重要なポイントになってくるのだけど、それをここで書いてしまうと、これから読むかたの興をそぐことになる。

 ただ、世界医が杖をひとふりすると、すべてが収まるところに収まるといった単純な物語ではないとだけ言っておこう。

 世界はやっつけ仕事のプログラムを繰り返してどうにか稼働にこぎつけた巨大システムのようなものであり、コードがスパゲッティのように絡んでいる。たとえバグを見つけたとしても、うっかり修正すると思いがけない新しい不具合が発生しかねない。場合によってはバグと知りながら、修正しないほうが良い場合もある。そもそも、バグか仕様か見極めが難しいこともある。

「検索にもかからない架空の山」「いつ現れるか消えるかもわからない山」という存在性にも、この世界観が反映されている。

 物語もスパゲッティ・コードのようである。先述した登場人物たちそれぞれのエピソードの因果が絡まり、エッシャー的とすら言える軌道がつくりだされる。しかも、叙述トリック的なサプライズまで仕掛けられている。

 通読した印象は、西尾維新ばりの脱格系ミステリというか、円城塔を髣髴とさせるテキスト宇宙小説というか。しかし、それにとどまらず、そこかしこに作者・宮内悠介の自伝的要素(記憶の断片)が埋めこまれていて、それがアンカーのように、超虚構ゲーム空間をこちら側(読者がいる世界)に陥入させる。

(牧眞司)

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