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つながりのジャーナリズム 寺島英弥さんとの対話 第1回「暗闇の中でブログがつながった」

つながりのジャーナリズム 寺島英弥さんとの対話 第1回「暗闇の中でブログがつながった」

この記事は藤代裕之さんのブログ『ガ島通信』からご寄稿いただきました。

つながりのジャーナリズム 寺島英弥さんとの対話 第1回「暗闇の中でブログがつながった」

河北新報の編集委員寺島英弥さんに初めて会ったのは2007年10月、東海大学の河井孝仁先生の紹介でした。地方メディアやジャーナリズムのあり方を語り合った興奮を抑えきれず、夜に長いブログを書いたほどでした(新聞、ジャーナリズム、コミュニティについて長いメモ*1)。その後、ドコモモバイル社会研究所の調査でご一緒して「地域メディアが地域を変える」*2 という本に関わり、スイッチオンプロジェクトや日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の立ち上げを後押しして頂きました。一緒に新たなジャーナリストのあり方を模索する仲間であり、記者として大きな目標でもあります。

*1:「[メディア][ネット時代の新聞]新聞、ジャーナリズム、コミュニティについて長いメモ」2007年
10月1日『ガ島通信』
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20071001/1191173886
*2:「地域メディアが地域を変える [単行本]」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4818820482?ie=UTF8&tag=gatotushin-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=4818820482

寺島さんは、佐々木俊尚さんの「当事者の時代」*3 で、同じ被災者という当事者になったことで共感によってつながる物語を紡ぎだすことが出来るようになった事例として紹介されています。しかしながら、私には寺島さんは震災前と何ら変わらないように見えていました。当事者、寄り添う、東日本大震災でも使われるようになった言葉への違和感を抱えながら、寺島さんの考えを聞くために仙台に向かいました※1。

*3:「「当事者」の時代 (光文社新書) [新書]」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334036724?ie=UTF8&tag=gatotushin-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=4334036724

<2012年5月1日河北新報会議室>

<2012年5月1日河北新報会議室>
https://px1img.getnews.jp/img/archives/20120501144105.jpg

藤代:よろしくお願いします。まず寺島さんがブログ(河北新報のSNSふらっと内にある「Cafe Vita」*4)を書き始めた理由と東日本大震災後にブログでの連載「余震の中で新聞をつくる」を始めた理由を教えてください。

*4「Cafe Vita」
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun

寺島:たまたま2年前(正確には2009年8月)からですか。うちのメディア局長(佐藤和文さん)にすすめられて。
藤代:すすめられたんですか。
寺島:きっかけはね。生活文化部長やってたので、部の活動とかですね、部員の記者たちの活動とか、生活文化に関するようなトピック。新聞に読者をネット読者をもっとつけようということで、編集局に一応公認のブログとして始まったのがきっかけ。震災が起きたときは石巻に取材にいくことになったんですけど…
藤代:僕が電話したとき。
寺島:そうですよ。あの時です。まさにあの時でした。なかなか出撃の声がかからなくて、自分としては何をしたらいいんだろうというのが分からなくて。編集委員なので、部下を持っているわけではないし。ただ、誰かがこれを記録しなきゃならないんじゃないかということがありましてですね、まず社会で何が起きているかということをブログにとにかく書いていこうと、それがはじまりでした。

■暗闇で繋がったブログ

寺島:ご存知のように新聞が発行できるかというのが当初はありました。翌日やっと8ページの新聞ができて…いわゆる紙の新聞の危機だったんですよね。私はそれをひしひしと感じて、今こそブログの可能性というものを震災の渦中で試してみるときではないかと思いまして、それでまず、自分の身の回りで起きたこと、編集局の中で起きたこと、新聞づくりの現場のことを記録していこうと思い立って、14日の夕方から始めました。
その晩の内に確か4件の返信(コメントの書き込み)がきたんですよ。ひとつは同じ地方紙人で「河北さんの編集室がどうなっているのか非常に心配していたけれども、読んで非常に安心した」というのがありまして、それこそ2年近くやったとはいえ、こういう渦中というか、暗闇みたいなところで、繋がることができるというのをその晩に実感したんですよね。
それで書き続けなければならないと思ってですね、やるうちに石巻に取材にいくことになって取材現場に出るようになったので、取材で出会ったもの、見聞きしたもの、風景から人から、語ることであるとか、自分がそれ以前に見てたこと、してたことであるとか、土地についてですね…そしたらたちまちこう、なんていうんでしょうね。ノートがいっぱいになっていくわけですが、それを書ききれないですよね。一本の記事の中には。
藤代:なるほど。
寺島:削って、編集して、一本の記事を100行なら100行を最終的に書くというのが新聞の記事ですから、その中でも書ききれないことが山のようになってですね、伝えきれないことですね。現場いった人みんなそう思ったに違いないんですけど、その一本の記事とか一枚の写真ではとても伝えきれない。ノートにいっぱいになったことをとにかくその自分が出来る範囲であれとにかく伝えたいという風な思いになったんですよね。ブログならそれができる。取材して新聞記事を書く、それが終わってから今度は夜中とかそういう時にブログを書くというそういう生活が始まったということです。
藤代:繋がっている感じっていうのは、なんかおもしろいなと思うんですけど、マスメディアの人って情報発信するのが仕事じゃないですか。新聞を発行したり、テレビに電波を送り届けたりするわけですけど。寺島さんがたった4件の返信みたいなものを実感として受け止めたのかというのがすごく興味深いなと思ったんですよね。
寺島:リアルタイムのことだったというのがあるんですよ。
自分はアメリカでシビックジャーナリズムを調査してきて(フルブライトで留学した。その成果は「シビック・ジャーナリズムの挑戦―コミュニティとつながる米国の地方紙」*5 にまとめられている)、いわゆる高みから見下ろす新聞じゃなくて、いかに地域の読者なり地域に住んでいる人と繋がれるかっていうのをテーマにしてきたつもりだったんですけど。まさにそれを実感できた。どこにも電話も繋がらない、外界でこちらをどう思っているのかとかということは全く分からない状況のなかで、新聞の記事の反響だって分からないわけです。必死で情報を求めてこちらも誰が読んでいるのか、どこまで届けられるか分からないし、というような状況の中で書いているので、その中で返信があったというのはですね、暗闇の中で誰かの手と誰の手なのかわからないけれど繋がったと。

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