ディオバン事件の背後にある事情(すきま医学)

ディオバン事件の背後にある事情

今回はブログ『すきま医学』からご寄稿いただきました。

ディオバン事件の背後にある事情(すきま医学)

京都府立医科大学循環器内科に所属する医師らにより実施された医師主導臨床研究「Kyoto Heart Study」のデータを改竄し、高血圧の治療薬であるディオバン(一般名バルサルタン)の効能または効果に関する論文に虚偽の記載をさせたとして、旧薬事法(現・医薬品医療機器等法)違反の罪に問われていた製造・販売会社ノバルティスファーマ社と元社員に対し、東京高裁は一審判決を支持し無罪としました(平成30年11月19日)。研究論文不正で初の逮捕者が出るという前代未聞の事件です。

東京慈恵会医科大学循環器内科を中心に実施(2002~2014年)された日本で初めての大規模臨床試験「Jikei Heart Study」の「成功」(後に血圧データの人為的操作が疑われ、論文は2013年9月7日に撤回)を受けて、「Kyoto Heart Study」でもほぼ同様のプロトコールで、心血管リスクがありコントロール不良な高血圧患者を対象に、「ディオバンを追加投与する群(1517名)」と「ディオバンと同じ作用機序を有する治療薬は投与しない群(1514名)」とに分類し、脳卒中等の心血管イベントの抑制効果を約3年間(2004~2007年)追跡調査しました。京都府立医科大学循環器内科教授(臨床研究責任者)の研究室で使用できる奨学寄附金として、被告会社から約3億8000万円(2003~2012年の合計額)が納入されています。

治療前後の血圧値は両群間で差を認めませんが、「ディオバン治療群では心血管イベントの発生が45%も少ない」という驚異的な成績が発表されました(関連論文はデータに重大な問題があり、主論文は2013年2月1日に撤回)。ディオバン臨床研究は千葉大学、滋賀医科大学、名古屋大学でも実施されましたが、関連論文は全て撤回されるという異常事態に発展しました。

被告の元社員は統計解析者として上記5つのディオバン臨床研究に関与しましたが、「Kyoto Heart Study」では、臨床研究データを一元管理できる立場を利用して改竄データに基づく虚偽の図表等を作成し、同大学の論文執筆者に提供し、虚偽論文の作成を急がせました。被告会社は掲載論文を利用して広告資材を作成し、ディオバンの販売促進に活用しました(判例 平成26特(わ)914 薬事法違反 平成29年3月16日 東京地方裁判所)。厚生労働省の刑事告発を受けた東京地検特捜部は、時効の関係から、「Kyoto Heart Study」の関連論文に虚偽の記事を記述させた容疑でノバルティスファーマ社と元社員を起訴しました(平成26年7月1日)。

しかし一・二審では、論文を掲載した行為は旧薬事法66条1項の「虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない」には抵触せず、違法性はないと判断。この法律は主に「広告」について言及しており、虚偽の記述をしたとしても、顧客誘引の意図が無く広告性の無い「論文」は本法66条1項にいう「記事」には該当しないという見解です。

「降圧を超えた効果」を謳い文句に不正発覚まで年間1000億円超を日本国内で売り上げたディオバンですが、実は特別な効果等は無かったのです。「法理」としては理解出来ますが、講演会や座談会、広告資材で虚偽のデータを大々的に宣伝し医師の処方を促したという点では、臨床の場に身を置く者とすれば、承服しかねる判決です。「広告性の無い「論文」を引用して広告資材として活用した」訳ですから。

被告の元社員は被告会社に対して「論文の信憑性に疑義を呈するような発言」を行っていた(判例 同上)のですから、「被告会社は、論文に虚偽のデータがあると承知していながら、広告資材として同論文を利用したのではないか」という点を追及出来なかったのでしょうか。「研究データの改竄・捏造で虚偽論文を作成しそれを広告に活用する行為」が法的に罰せられないのでは、同様の事例の発生が今後も危惧されます。医師の側にも、臨床研究責任者の意向を忖度して、積極的にデータの改竄に手を染めたケースがあったようです。

 
新薬一つを開発するにも膨大な時間(10~20年)とコスト(近年では1000億円超)が掛かりますが、製薬会社が独占販売できる(実質特許有効)期間は10年程度です。高血圧の治療薬は、長期間服用してもらう事が多いので会社にとってはドル箱ですが、競争もまた激しい分野です。

医師に処方を促すには科学的根拠としての臨床試験が欠かせません。臨床試験の結果を掲載した広告資材を作成するには、(ディオバン事件で採用された試験方法の場合)その結果が論文化されている必要がありました。さらに、臨床試験は大学病院を中心に実施されるので、ピラミッド構造の影響で、一般・個人病院の医師にとっても臨床試験薬は極めて重要な選択肢となります。

ディオバン事件に登場するような循環器内科は大所帯ですから、教室(医局)を運営するにも多額の経費が掛かります。「公的なサポートは得られにくい」ので、事務員を雇用するにも、実験用の試薬を購入するにも(近年の研究はレベルが高いので多額の研究費が必要)、学会を主催するにも、椅子1つ揃えるにも、製薬会社からの資金を頼りにします。

ディオバン事件に登場するような臨床研究責任者(教授)は基礎的研究で業績を上げてその地位を築いた方達です。臨床試験の進め方や統計解析の手法は不得手な筈です(「ディオバン治療群では心血管イベントが45%も低下した」という驚天動地の結果を信じてしまったのはそのせいかも知れません)。必然的に、製薬会社に依存する体制を作り上げることになります。

21世紀に入ると他学部出身者がますます基礎医学研究に参入するようになりました。臨床医は臨床研究に尽力せざるを得ません。「欧米に比して大きく遅れをとっている(未実施ともいうべき現状の)大規模臨床試験に活路を見出し、名を馳せる」的な功名心に駆られたのかも知れません。大規模臨床試験を取り仕切ることで、「関連病院を含めた医局の結束」に役立てようと考えていたのかも知れません。

 
2017年3月17日、衆議院厚生労働委員会は、製薬企業からの資金提供を受けて実施する医薬品の臨床研究等を「特定臨床研究」と位置付け、モニタリングや監査等を義務付ける「臨床研究法案」を全会一致で可決しました。研究不正を防止し、臨床研究に対する国内外からの信頼を確保するのが狙いです。実効性に期待したいものです。

 
【参考資料】
『赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件』 NPO臨床研究適正評価教育機構(J-CLEAR)理事長 桑島巖 日本医事新報社 2016/9/28

 
執筆: この記事はブログ『すきま医学』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2019年3月28日時点のものです。

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