シングルファーザーの成長小説〜まはら三桃 『パパとセイラの177日間 保険外交員始めました』
ひとりで子どもを育てるのがたいへんなことは、母親も父親も変わらないことと思う。しかし一般的に、”ひとり親”と聞くとシングルマザーを想定する場合が多く感じるのは、日本においては親権を父親が持つことの方が少ないからだろう。私自身も父子家庭の例を知らないわけではないが、例えばフィクションなどでもひとりで子育てする父親に注目が集まるケースはあまりないという気がする。
『パパとセイラの177日間 保険外交員始めました』は、そんなシングルファーザー(正しくは、まだ離婚届は出していないが)の月野耕生が主人公。耕生は学生時代に起業した会社でアルバイトをしていた同い年の妻・沙織との別れを決めた。沙織と彼女が連れて行ったひとり娘のセイラを思って、ひとり涙にくれる耕生。しかし、「やっぱ、泣いてる」の言葉とともにセイラが戻ってきた。耕生のアパートと沙織のマンションとはわずか100メートルほどの距離。セイラの生活の基盤は沙織のところだけれども休日には耕生が泊まりも含めて面倒をみるといったように、別れた後もふたりで協力してやっていく取り決めがなされていた。しかし、「パパは寂しがり屋さんだからね」と、セイラは耕生と暮らすことを選んだのだ。
大人びた台詞からもわかるように、セイラはまだ就学前の6歳にしてよくできた子どもだ。父親をいたわり、ほとんどわがままを言うこともなく、頭もよければ運動能力にもすぐれている。両親にとっては「THE自慢の子ども」だと思われるが、そんなセイラであっても「子はかすがい」たり得るのは難しかった。耕生が起こした学生向け求人サイトのウェブ事業は、東証マザーズ上場も果たし経常利益が1億円に乗る直前だった。しかしリーマンショックのあおりを受けて以降、耕生と沙織の間で経営方針に関する見解の違いが生じ、それに伴い夫婦関係もどんどん悪化。会社の解体前から大手コーヒー専門店の営業部に再就職を果たしていた沙織とくらべて、耕生が請け負うウェブの作成やパソコンのトラブルをサポートする出張サービスの仕事は収入も不安定だ。セイラが通う保育園から月謝滞納のお知らせを受け取った耕生は、ちょっと前までは数億円単位の金額を動かしていたのにと忸怩たる思いをかみしめる。そんなときセイラと立ち寄ったフードコートで、耕生は奇抜なファッションの保険外交員と出会い…。
シングルファーザーの生活もだが、保険外交員の仕事というのもまた、当事者以外にはなかなか知る機会のないものだ。19万円の基本給と格安の保育所に魅力を感じ、耕生は友愛生命(フードコートで声をかけてきた奇抜なファッションの保険外交員・間宮絹子の勤務先でもある)で働き始める。しかし、幼い頃から学業に秀で日本最高学府に入学し、自分で会社を立ち上げるほど優秀だったにもかかわらず、耕生は保険の営業においては苦戦を強いられる。いや、優秀だったからこそ、というべきかもしれない。物語の初めから、耕生が少々感じ悪いところのある人物だということはうっすらと暗示されている。セイラに対してこそメロメロな父親であるが沙織には手厳しく、別れることになったのは相手のせいであるという意識が見え隠れしているのだ。また自分が有能であるという自負ゆえに、他人に対して下手に出ることが苦手、保険外交員という職業も本来自分がやるような仕事ではないと考えている。「もしかして、人間的には耕生よりセイラの方が大人なんじゃね?」と危ぶんでしまうが、この小説は耕生の成長小説でもある。父として、夫として、そして社会人として新たなる一歩を踏み出そうとする耕生の姿を、ぜひお読みになって確かめていただきたい。
著者のまはら三桃さんは、いわゆる児童文学の分野で活躍されてきた作家。当コーナーでは以前『白をつなぐ』という駅伝小説を取り上げさせていただいた(2015年11月18日更新)。個人的には児童文学/一般小説を厳密に区分する必要もないのではと思っているので(「あ、この本は子ども向けってことね」といって数々のおもしろい作品を読み逃すのは惜しい)、ジャンル分けにこだわらずに”まはら三桃という作家”ということでお心に留められるといいと思います。
(松井ゆかり)
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