心をざわつかせる短編集〜今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』

心をざわつかせる短編集〜今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』

 第1話「白いセーター」を読んで、忘れられない記憶がよみがえってきた。三男がまだ1〜2歳のときのことである。それは近所の小児科の待合室でのことで、私たち親子の他には三男と同い年くらいと思われる女の子とその子のおかあさんだけ。その子のおかあさんは、看護師さんに何か質問するため受付に向かった。女の子はいったんおかあさんを追いかけていったが一足先にこちらへ戻ってきて、何を思ったか三男の頭を叩こうとした。女の子の方は空振りに終わったのだが、まずいことに三男がその女の子を叩き返した。三男の手が女の子の側頭部をかすめたところへおかあさんが戻ってきた。一瞬のこととはいえ、我が子を止められなかった私にも責任はある。とはいえ、おかあさんが「何するのっ!」と大きな声をあげて娘さんを抱き寄せ三男と私をにらみつけたときには衝撃を受けたし(それまで知り合いだったおかあさんは「だいじょぶだいじょぶ、お互い様だよ〜」と笑い飛ばしてくれる人ばかりだったから)、割り切れない思いがむくむくとわき上がった。いや、あなたのお嬢さんが先に手を出してきたんですよ、と。

 思い出話が長くなって申し訳ない。「白いセーター」という物語と私の体験とではシチュエーションも異なるのだが、自分の話を誰からも信じてもらえないのではないかという恐怖がまざまざと思い出された。「白いセーター」は、自分の婚約者である伸樹の姉・ともかから頼まれて彼女の子どもたち(伸樹にとっては甥姪たち)を半日預かることになったゆみ子の物語だ。ともかの子どもたちは小学5年生から4歳までの4人(未婚のゆみ子にろくに顔を合わせたことのない4人もの子どもを預けることからしても、ともかが要注意人物であることは推察される)。クリスマスイブに、自分に心を開いているわけでもない子どもたちを教会のクリスマス会に連れて行かなければならないなんて、皮肉が効いていることこの上ない。不穏な気配は物語の最初から漂っていたが、案の定とんでもないハプニングが起きてしまい…。

 あの日小児科で、結局私は「すみません」と謝り(「いや、あなたのお嬢さんが先に手を出してきたんですよ」などと言ったとしても、目撃者もいないし事態を悪化させるだけだと考えたからだ)、診察料を払ってからもう一度「すみませんでした」と言って帰ってきた(おかあさんは返事もしてくれなかった)。今村作品を読むのは、多かれ少なかれこういった居心地の悪さを感じることに他ならないと思っている。特に子どもが出てくる作品の場合に顕著で、本書でも「白いセーター」をはじめ「モグラハウスの扉」や表題作「父と私の桜尾通り商店街」を読むと心のざわつきが止まらなくなる。私は自分が子どもの頃から子どもが苦手だったので(息子たちを産んでずいぶん改善されたが)、気の滅入りようもひとしおである。

 なら読まなければいい。でも読んでしまう。なぜ自分が今村作品を手に取ってしまうのかを今回よくよく考えてみたのだが、不器用な主人公たちには主人公たちの信条があり、その脅威となる存在(無遠慮な子どもたちであったり無神経な大人たちであったり)には彼らなりの信条があるということを確認したいからではないかと思い至った。少なくとも自分は「白いセーター」などを読んで、子どもが垣間見せる残酷さも理由があって発動されるものなのかもと理解できた気がする(だからといって好感を持てるかといえばそれはまったく別の話だが)。そう、それぞれが自分の信じるところに従って生きている以上、相容れない者同士がいるのは当然なのだ。それは憂鬱なことだけれど、「よそはよそ、うちはうち」と割り切れるのであれば楽になることもできる。

 と書いてはみたものの、「よそはよそ、うちはうち」=「みんなちがって、みんないい」という図式が、常に成り立つわけではないのがつらいところだ。というか、今村作品においては成り立たないことの方がほとんどではないだろうか。本書においても、気の塞ぐ結末があそこにもここにも見受けられる。だけど、たとえつらい気持ちになっても、やっぱり読みましょうよ。世の中にはこんなに理不尽なことや納得のいかないことがあふれてる。でも今村作品においては、そういったマイナスポイントが時にシビアに時にユーモラスに描写されることで、読者にこう訴えかけているのではないだろうか。そんな風に感じるのは自分だけじゃないんだ、婚約者の姉に不快な思いをさせられ、後輩にバカにされ、職場の上司やお客から嫌味を言われてがっくりしたとしてもしかたのないことさ、と。人間いつもいつも前向きになれるわけじゃないことを、逆説的に肯定してもらえるような気持ちになれるので、私は今村夏子という作家を信頼できるのだと思います。

(松井ゆかり)

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