勇気が出る家族小説〜瀧羽麻子『うちのレシピ』
23年前、私は初めて母親になった。それまで私は子どもが苦手だった。妊娠しづらい体質だと診断されていたところへ思いがけず恵まれた子どもだったので、心の準備も万端とはいえなかった。しかし、生まれてきた子どもはびっくりするくらいかわいかった。
『うちのレシピ』は、結婚を考えている若い男女とその両親たち計6人が、それぞれ語り手となった6編からなる連作短編集である。1話目の「午前四時のチョコレートケーキ」では、物語の冒頭から緊張感がみなぎっている。ほどなくそれは、交際中の啓太と真衣、さらに彼らの両親を交えた初めての食事会の場であることがわかる。緊張感の原因は、初顔合わせの場に啓太の母・美奈子が現れなかったこと。これはなかなかの非常事態だと思われる。親(すっぽかされた側)の頑固具合によっては、破談という線もあり得るだろう。しかし仕事から帰った美奈子は謝罪の言葉を口にしつつも、「緊急事態だった」「それどころじゃなかった」と悪びれる様子もなく、それがまた啓太の怒りを煽る。父・雪生はいつも通り、穏やかにふたりを見守るばかりだ。翌日、啓太はいつもより早めに勤め先のレストラン「ファミーユ・ド・トロワ」(フランス語で「三人家族」という意味。通称・ファミーユ)に出勤した。啓太の交際相手である真衣は、家族経営のこの店のひとり娘なのだ。真衣の母・芳江はいつも通りにこやか、最大の難関は真衣の父でコックとしての師匠でもある正造だがこちらもなんとかクリア。とりあえず胸をなで下ろした啓太だったが、雪生の誕生日にあたる次の日曜日にある事件が…。
当然のことだが、立場が違えばものの見方も違う。子どもたちにとって、親の気持ちというのは未知の部分がある。親は親で自分たちにも若かったことがあったにもかかわらず、やっぱりその頃のことは忘れがちになってしまう。結果として、お互いに「親(あるいは子ども)は、こちらの気持ちなんて全然わかってない」という不満につながるわけだ。「午前四時のチョコレートケーキ」でも、美奈子の食事会すっぽかし事件と雪生の誕生日に起きたできごとは見事に対になっており、まさに親と子それぞれの言い分があることが描かれる。
それでも、啓太たち親子が(そして、時には同じように気持ちの行き違いがある真衣たち親子も)決定的に決裂することはまずないだろう。彼らの親子関係は強い愛情によって支えられているからだ。啓太がどんなに母親を鬱陶しく思っても、美奈子がどんなに傍若無人にふるまっても、お互いに相手を大切に思っていることがわかる。雪生の愛情深さは言うまでもないし。
彼らの姿は、私を含め親子関係に悩む人々を勇気づける。私もまた美奈子や芳江と同様に、息子の前だと「なぜか意地を張ってしまう」一方で、子どもの成長が「心配で、さびしくて、それでもうれしい」母親であるからだ(いまとなってはやはり、母親キャラに最も感情移入してしまう)。誰しもが家庭というものに恵まれるわけではない。啓太たちや真衣たちのような家庭に育った人は心からその幸せに感謝するべきだし、そうでなかった人も自分自身で幸福な家庭を築いていくことは可能だと思う。啓太たち親子と真衣たち親子はさまざまな点で違っているが、それでいい。家族の形に正解はないが、本人たちが幸せであれば、その家族は正解なのだ。
(松井ゆかり)
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